dalichoko

しょうもない

ミナリ MINAR

 

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この写真がとても印象的だ。韓国からの移民。赤い帽子と赤いトラクター。比較的”色”の特徴を消しているこの映画で、この”赤い”色だけがなぜか脳裏に残る。少年が怪我したときの血もまた赤い。

時代は1980年代だと思われる。レーガン大統領というセリフが出てくる。この時代の韓国については、これまであまり公になってこなかったが、『1987、ある闘いの真実』が語るように、80年代後半の光州事件に象徴されるように、成長と改革(革命)が激突する頃だ。

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この時代に、家族でアメリカに移住する理由は、この映画では子供の心臓病としてるように見えるが、実は『はちどり』や『82年生まれ キム・ジヨン』に示される男尊女卑社会からの解放も移住の理由であろう。それはこの家族の母親の家族を守りながら自立しようとする姿勢と夢ばかり見ている夫の姿勢が衝突を続けるシーンが物語る。

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この映画の監督は、このドラマの子供だろう。子供の目線から描かれたこの映画は、カメラがかなり低い位置から人物を捉える。親の都合に翻弄される子供の心理をうまく描いている。そこに不思議な祖母が現れる。最後のテロップに「すべてのおばあちゃんへ」と出てくるのは、子供にとってこの祖母がどれだけ救いになったかを示すものだ。

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次々に起こるトラブルに、家族は混乱を極める。農場で育てた作物が育たず、水は枯渇する。家族が断水で苦しむ姿は象徴的な。水がないと生きていけない。祖母が珍しがる巨大な瓶のマウンテンビューがどれだけ貴重なものか。しかし結果的にこの祖母が植えたミナリ(セリ)が家族を救って映画は終わる。祖母がトレーラーハウスに現れたとき、子供が「韓国臭い」と毛嫌いするシーンは、『パラサイト 半地下の家族』にも似たようなシーンがあった。韓国映画の傾向かもしれないが、時折映像の中に匂いを込めるのが印象深い。

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家族の物語であるこの映画は、夫婦の衝突を延々に示し続ける。これは韓国ではありえない。男が強い社会で妻は夫に逆らうことなどない。しかしアメリカに移住して、妻は権利を得た。そして夫と対等にぶつかり合う。夢を追う夫と現実を生きる妻。この二者の対立が続き亀裂が生じる家族に祖母が現れる。

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夫は妻が離れてゆくことを容認する。その直後にやっと作った野菜が売れる。手のひらを返したように夫はやり直そうと言うが、妻は夫の姿勢に迎合しない。男と女の違いが如実に表されて、スーパーの屋上のシーンは胸が苦しくなるようだ。この映画はここを示すことを目的にしている。打算的な男と家族第一を考える女。

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このあと実は、映画がクライマックスを迎えるのだが、タルコフスキーの『サクリファイス』にもまさるような激しいシーンに圧倒される。抑揚のない映画がここでとてつもない映像を打ち付けてくる。メラメラと燃え盛る音。『ワイルド・ライフ』でも感じた炎の音に圧倒される。そして家族はここですべてを失う。

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移住してきて家族を混乱に陥れた祖母が脳梗塞になる。この祖母の存在が混乱して離反しようとする家族の絆を結び直す。止まっていた水が蛇口から”赤い”水を流し始める。張り詰めて張り詰めて、自らの首を苦しめながら耐えて耐えて生活してきた家族のすべてが失われた瞬間、やっとお互いが認め合うという最後だ。祖母が不自由な体で炎を背にしてミナリに向かおうとするシーンはまるで『八月の狂詩曲』だ。

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すべてを失いことで呼び戻される家族の在り方は、感動的でありながら現実的だ。こうした歴史は、実はこの家族に限らず、移民の国アメリカのスタンダードだ。誰もが同じ苦難を乗り越えて存在している点が、アメリカで高く評価された理由ではないか。
 
さて、最後に、この映画を見る我々日本人はどうだろうとも考える。
(=^・^=)
 

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One Night in Miami あの夜、マイアミで

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四人の対話劇。それぞれがは白人社会で黒人の劣悪な環境を経験している。
 
 
まず、それぞれの俳優が実物にとても良く似ている。そして映画の冒頭で、それぞれが当時の社会で大変厳しいビハインド、辛い体験をしていることが示される。マルコムXは敬虔なムスリムでありながらNOIを離脱する羽目になる。NFLのスーパースター、ジム・ブラウンは白人に歓迎されながら家に入ることが許されない。シンガーのサム・クックは白人を前に全く受けず挫折する。
 
こうした4人がある日マイアミに集まる。

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そしてお互いの主張が衝突するのだ。それはマルコムXが彼らスターをプロパガンダとして黒人社会を確立するという、白人社会との対立構造を理想とすることに対し、シンガーのサム・クックは白人をとりこんで自分たち黒人のファンにしてしまえばいいという融和思想が衝突する。その狭間で、カシアス・クレイという奴隷の名前からムスリムモハメド・アリに改宗するという決断をする。ジム・ブラウンはまた別の立場でマルコムXとサム・クックの対立に意見する。黒人の中でも色の薄いマルコムXは、どちらかというと色の濃いジム・ブラウンが彼を非難するという複雑な構造の中で議論を深めてゆく。
 
マルコムXがサム・クックのボストンでのライブで、前座のジェームス・ブラウンの悪意でマイクの音を切断されても会場を一体にさせた姿を高く評価しつつ、彼の融和姿勢と決別してしまう。このボストンライブには涙が出る。マイクのない、アカペラで会場をひとつにしてしまうパワーに感動。
 
このドラマの最後にサム・クックA Change Is Gonna Come”が流れて感動的に終わる。彼はマルコムXからボブ・ディランの”Blowin' in the Wind”を突きつけられて返す言葉を失ったことに対するアンサーとして流れてくる。

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困難は付きまとう
長い道のりの中で超えていく全ての段階に
でも私は信じている
今夜私に変化が起こると
私に変化が訪れると
さきに鑑賞した『マ・レイニーのブラックボトム』と同じ舞台劇の映画化。そしてほぼ密室劇の対話が重なる。さらに、いずれの映画にも共通する「黒人の中にある格差と対立」と「神に対する冒涜」がとても深くて悩ましい。どうだろう、2016年に大統領が変わる前、黒人の大統領が8年間務めた間、映画は黒人向けの作品が高く評価されるようになった。ハリウッドではあまり掘り下げてこなかった黒人への劣悪な仕打ちが映画で表現されるようになる。そして2017年にまた共和党の大統領になり、黒人という枠を超えて、ラティーノジェンダーや格差などあらゆる偏見が顕になる。
 
そしていま、さらにこれらの格差が、黒人の中にも存在していたことを示す。
(=^・^=)
 
 

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Ma Rainey's Black Bottom マ・レイニーのブラックボトム

マ・レイニーのブラックボトム  Netflix映画


The True Story Behind Ma Rainey's Black Bottom | Netflix

 

とても残念なことに、この映画にも出演しているチャドウィック・ボーズマンの遺作となった作品。デンゼル・ワシントンの正当な後継者とまで期待されていた若きスターの死は映画界にとって大きな痛手だ。遅ればせながらご冥福をお祈りしたい。

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もともとデンゼル・ワシントンが監督をすると言われていたこの映画は、彼を中心にプロデュースされたようだ。ときは1927年。まず、この映画の映像の美しさ。時々写るシカゴの街の風景の見事なシーンが印象的だ。

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全く予備知識がなかったが、主人公はマ・レイニーというかつて「ブルースの母」と言われた黒人歌手を中心とする話。この個性的な黒人女性をヴィオラ・デイヴィスが見事に演じる。横柄で強引で強気な女性。そしてレズビアン。彼女の楽曲にはマイノリティーや今で言うジェンダーについての内容もあるようだ。ここは注視するべき点だ。

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コロンバス出身のスター、マ・レイニーはジョージア州コロンバス出身で、サーカスのようなテントで歌を披露するシーンが最初に示される。当時はどうもこうした寄席のような場所があちこちにあったらしい。人気のマ・レイニーがシカゴでレコーディングをする一場面だけがこの映画の内容だ。

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彼女のバックバンド、ブラックボトムが地下室でリハーサルを始めるシーンから、この映画は不穏なムードが漂う。若いレヴィー(チャドウィック・ボーズマン)が他の年輩ミュージシャンと言い争いをするシーンが延々と描かれる。そしれ彼が幼い頃、彼の母親が白人にレイプされたことなどが生々しく語られる。

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その地下室の上、レコーディングスタジオでは、マ・レイニーのわがままぶりにやきもきする白人のディレクターや録音技師などが描かれる。地下のブラックボトムと上階のマ・レイニーという対比も面白い。とにかくマ・レイニーの徹底したわがままぶりがすごい。彼女が黒人女性であることは言うまでもなくこの映画の中心である。

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上と下、女性と男性の黒人がそれぞれ自分の意見を貫くのだが、地下のレヴィーはほかのバンドマンと意見が合わず、神をも冒涜するような言葉を吐く。その傍らで、スタジオの開かずの扉なんども蹴ったり、自分の買ったばかりの靴を自慢したりわがまま放題だ。上と下で進むわがままな黒人の物語。

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紆余曲折を経てなんとかレコーディングが成功して終わるのだが、この映画はもちろんレコーディングを描く映画ではない。黒人の間にも意見の相違があって、黒人の間でも格差があることを暗示している。そしてマ・レイニーの強気の姿勢が、自分たちをリスペクトしない白人に対するあてつけであり、強く生きるしか手段がなかった時代を示している。時々写る白人とのやりとり。コーラを買いに行くと、店にいる白人たちに睨まれる。車がぶつかれば警官は黒人を疑う。マ・レイニーに右往左往する白人たちも、彼女が利益を生む歌手だから仕方なくやっている。こうした現実を1927年を舞台に示している。

この頃のアメリカはバブルで、直後に世界を巻き込む大恐慌がやってきて自由主義市場経済が崩壊しニューディール政策へとつながってゆく前の時代。そんな浮かれた世の中のことをレヴィーが買う靴が示してたりする。手元の金よりも高い靴を買う。バブルとはそういう時代。身の丈を超えた買い物を世の中が一斉に行う心理的ハイパーインフレ状態。

 

最後に、チャドウィック・ボーズマンの敬意を示したい。彼のキャリアが徹底した黒人差別への反発であったことは誰もが知っている。初めて彼を見たのは『42 世界を変えた男』で、としまえんの映画館だった。あの映画でもカラードである才能ある野球選手の劣悪な環境に耐える若者を見事に演じていた。あれが2013年。その短いキャリアの中で徹底して社会と戦った姿を我々は忘れることがないだろう。この映画でも、彼は黒人への仕打ちに対し、神までも敵に回す。たたき続けたドアが開いても、そこは行き止まりでしかも高い壁があるだけだった。それでも彼は戦い続けた。戦う人のことを誰も責めることはない。

 

安らかに・・・

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停滞フィールド 2020→2021

3人のアーチスト作品が並べられた企画展。場所は本郷にあるトーキョーアーツアンドスペース本郷。
 
まず1階の広瀬菜々&永谷一馬両氏の作品は、部屋いっぱいに真っ白な物質が並ぶ。触ることはできないが、どうも実物を固めて形成しているものらしい。

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2階は渡辺 豪氏の作品で、真っ暗な中にプロジェクターで扉が延々と写される。そしてもうひとつの部屋には巨大なスクリーンが折れ曲がるように表と裏で構成され、そこに巨大な事物、例えば本などが大写しにされて少しずつ動くインスタレーション。極めて難解。
 

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最上階の3階は田中秀介氏による一連の絵画作品。事物の捉え方が独特で、どの作品も人物の存在にテーマ性がある。なんの変哲もない構図の絵をよくみると、女性の足がカーテンの下にちらりと見えたりする。人物はそこに存在するのだが、表情を見せない。顔は見えていても輪郭のはっきりしない表情などが表現されている。
 

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もともとパンデミックがこれほど拡大する前に企画された展示だったが、コロナ感染拡大を懸念して延期になった。しかし結果としてこの状況を予見するような”停滞”というキーワードは予言のようだ。自分としてはこれを停滞と理解もしていながったので、新しい解釈だった。

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ふとギャラリーの3階の窓から外を見下ろすと、カーブミラーに道路の白線が写っている。偶然だがこれを見たとき、この展示の狙いが重なるのを感じた。このカーブミラーはこの角度から見る限り、ずっと同じ白線を写すのだ。これを停滞と呼ぶかどうかはともかく、同じ場所で同じ状態に固まる物質。存在する人の見えない表情。間近で見ると大きすぎて存在がわからない事物など、これらはいま我々のすぐ近くにあるウィルスを肌に感じさせるものだ。
 

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世界中の何もかもが停滞し滞る中で、これらの一連の作品は、その意思が極めて難解でありながらも日頃気づかない現象を蜂起させてくれるような強さを感じさせる。これはコロナに限らず、大きな災害を目の当たりにした瞬間、唖然として動けなくなる人の真理をえぐるような厳しさも兼ねているようだ。
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Crip Camp ハンディキャップ・キャンプ: 障がい者運動の夜明け

Crip Camp ハンディキャップ・キャンプ: 障がい者運動の夜明け
 
ミシェルとバラク・オバマ夫妻がプロデュースした作品で、このブログで紹介した『アメリカン・ファクトリー』も彼らの作品で、あちらはアカデミー賞を受賞している。
 
障害者の映画というと色々思い出されるが、虐待という意味だと『チョコレートドーナツ』だし、別の意味だと『ライド・ライク・ア・ガール』だ。いずれもネタは控えるが、とにかく感動する。日本の映画だと『37セカンズ』だ。いずれも特定の個人に近寄って描くドラマだが、こちらは本当にあったドキュメンタリーである。

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バリアフリーについては日本も少しずつだが進歩しているが、これは自然にそうなったのではなくて、彼らが勝ち取った権利なのである。そしてこれは日本ではあまりなじまないが”ムーブメント”だった、というのが面白い。つまりヒッピーとかフラワームーブメントのことである。

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ある場所に障害者が集団で生活している。ここはお互いが自由で束縛されない。日本だとどうだろう、施設というイメージに囚われると管理社会の象徴のように思われるがそうではない。お互いが権利を認め自由に踊ったり歌ったりする仲間なのだ。そんな彼らが障害者の権利を主張するようになり、当時の公民権運動やカウンター・カルチャー(ビートルズ)から広がった1960年代に、多くのデモ運動家たちと合流して、大きなムーブメントとなってゆく。

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1977年、ついに彼らは連邦政府ビルを占拠。ブラックパンサー党やLGBTと合流して、ついに国会を動かすのである。
もし時間のある方はこちらの記事(You Tubeは削除されている)を読んでいただくとわかるのだが、日本でこうした動きをすると、過激派とか暴力という印象が強くて、警察に捕まるのではないか?とか国家公安に睨まれるのではないかと懸念する。しかしそうではない。デモ運動は権利なのだ。もちろん1960年代と今では時代も違うのだが、どうやら日本では報道も含めてなにかを主張すると潰されると思われている。
 
この映画は、障害者の集団を写しつつ、それとはまるで違うなにか?を教えてくれるような気がする。
(=^・^=)
 
 

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シン・エヴァンゲリオン劇場版

去年だったか、まだ名古屋に住んでる頃、駅前にでかいモニターが掲げられ、冒頭のシーンを公開した予告編が流されたのは。あれから約1年、前作「Q」から9年か。しかも予定の公開もコロナのおかげでさらに延びて、やっとの公開となると、長年のファンにはたまらないほど待たされたことだろう。

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平日の午前中なのに劇場は満席。当日券を手にして来られたお客さんは、ペアでも別々の席に座るほどだ。少なくともMX4Dの劇場に空席は見当たらなかった。

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荷物は足元に置けないことが入り口で案内され、近くのコインロッカーに預けることになる。これは正解。この劇場はアトラクションだ。155分の長いアトラクションを楽しむことになる。それはそれはすごい揺れだった。

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冒頭のパリを舞台にした使徒との戦闘シーンから椅子はぐらぐら揺れ、照明もチカチカ、風はビュービュー吹き込むアトラクションに否が応でも興奮してしまう。これは映画ではなく映画体験だった。

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存在しないはずの綾波レイが前半で、名前のないそっくりさんとして小さなドラマが進む。ここは庵野秀明ワールドで哲学的。時代とともにいろんなドラマが展開した記憶に相変わらずぐずぐずしている碇シンジがぼさっと横たわる。マジでうざい男だ。

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その間、マリとアスカは自分の仕事を淡々と進める。この二人のコンセプトはとても強く魅力的だ。彼女たちの戦闘シーンはこの映画の大きな部分を占める。

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ネタバレはできないが、まぁとにかく庵野秀明ワールドと、このぐずぐずと流れる時間がここで一気に吐き出されることになる。エヴァンゲリオンという命なき形に人の歴史と感情が交錯し、このシリーズとこのドラマの根底にあるものが最後の最後で明かされる。

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とにかく映像と構成が素晴らしく、被写体となる人物を遠近法でほかの人物や物を画面の隅に配置するなど、画面の迫力と美しさを見続けるだけで大いに満足できる作りになっている。

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テレビシリーズが始まったのは1995年頃か。この頃はまだエヴァを知らなかった。当時自分は32歳。小さい子供が生まれておたおたしていた頃だ。その後ビデオなどでこのシリーズを一通り追随した頃、2007年の劇場版となる。しかしまだ劇場でこれを鑑賞していない。当時44歳。仕事仕事仕事の毎日だったな。

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長くシリーズを追うことは即ち、自分の歴史と重ねることだ。子供も大きくなって、子供と一緒にこのシリーズを追うことになるとは夢にも思わなかった。エヴァ哲学の中にどんどん引き込まれる自分を重ねる映画でもあった。
(=^・^=)
 

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野球少女 야구소녀

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スポ根ものではない。
主演のイ・ジョヨンさんがインタビューでも応じているように『梨泰院クラス』で」トランスジェンダーを演じた彼女にこの役がオファーされたのは、ある意味必然といえるだろう。

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プロ野球で初めて女性が登板した歴史を映画化したものだ。彼女を取り巻く環境も含めて見応えのある映画だった。

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冒頭のシーンは、プロのスカウトが学校を訪れるシーン。彼女の同級生の男子がスカウトされ、彼女はスカウトされなかった。彼女は高校野球史上初めて投手として活躍した選手だったが、この最初のシーンはいきなり挫折するところから始まる。

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そこにプロ入りを諦めたコーチがやってきて、彼女の頑なな意思と対峙する。そして彼女の貧しい家族や友人などとの関係から、現代社会の見えない現実を示すというものだ。

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競馬の騎手を扱った『ライド・ライク・ア・ガール』という名作が連想されたり、『プリティ・リーグ』が懐かしいが、過去のこうした映画に迫りつつ、韓国の実情もまたうまく描かれていたと思う。
(=^・^=)
 
 
 
 
 

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