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しょうもない

新型コロナと七人の侍

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先日大きな映画館で「七人の侍」を見て、あらためてこの映画が”守り”の映画であることを認識した。当たり前だ。農民を侍が野武士から守る、という映画なわけだから、”守り”の映画であることになんの驚きもない。
だからこの映画にはやたらと”守り(守る)”というセリフが多い。
最も印象的に使われるのは、勘兵衛が
 
「守るのは攻むるより難しいでな。」
 
という。勘兵衛が仕事を引き受けるどうか考えるシーンだ。この後いろいろあって、勘兵衛は仕事を引き受ける。「この飯おろそかには食わんぞ。」感動の名シーンだ。

さて、ここでこの映画の野武士を「新型コロナウィルス」に置き換えるとどうなるか。「七人の侍」ではこのようなセリフもある。 村の周囲に柵を作るが、裏山にだけ柵を作らない。そのことを尋ねられた勘兵衛が、

 
「よい城にはきっと隙がひとつある。その隙に敵を集めて勝負をする。守るだけでは城は持たん」
 
と応じる。

ウィルスを巡り各国が鎖国状態を築き、柵を設けている。ここから人の心が疑心暗鬼に広がり、ポピュリズムが蔓延する世界がますます疑念に満ちてくる。守りを固めてもウィルスは入ってくる。ここは逆に隙を見せて、受け入れたウィルスをどのように退治するか?という考えにあらためるべきだはないだろうか?
 
七人の侍」では、農民が分裂しそうになったとき、勘兵衛がこんなことも言う。
 
「人を守ってこそ、自分も守れる。己のことばかり考えるやつは、己をも滅ぼすやつだ!」

ここも感動的なシーン。
これ国際社会に置き換えてみよう。自国の利益ばかりを考えるやつは自国をも滅ぼすやつだ、とならないか。過去のサーズもエイズもそうだが、世界が偏見や認識の相違(差異)を超えて結束したではないか。今回はなぜここまでガードを固くするのだ。これはSNSなどのデマを中心とする報道、メディアの退化(劣化)、政治家の無為無策などが原因で、過去のパンデミックとは異なる傾向が生じているように思う。
 
最後に、村の長老がこんなことも言っている。
 
「野伏せり来るだぞ!首が飛ぶつうのに、ヒゲの心配してどうするだ!」
 
誤解を招くかもしれないが、感染して不幸にもお亡くなりになった方のことばかりがネガティブに報道されているが、武漢では感染による入院患者が概ね退院したと聞く。検閲を厳しくするよりも完治する正確なポジティブ事例をもっとリリースしてほしいものだ。
(=^・^=)
 
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