『ミッド・サマー』、『天気の子』。。間引き
1.『ミッド・スター』が示す間引き
アリ・アスターの『ミッド・サマー』がミドルヒットを飛ばしているというのはいったいどういう現象かと思う。あの映画を素直に理解できる人がどれだけいるか。少なくとも自分は必ずしもあの映画を理解できていない。
あの映画がもたらす”死”のイメージが”喜び”のカタチであることはなんとなくわかるが、自分のこの生身の体に理解が及ばない。
だが、あの”死”のイメージがもしCovid-19に重なるものだとしたらどうだろう。
90年に一度という儀式の中で、選ばれた男女が崖から突き落とされる。
あのシーンをこのCovid-19に重ねてしまう。高齢者が次々に肺炎を併発して亡くなってゆく。国によっては埋葬も順番待ちだそうだ。このリアルな現実、それはまるでSFの世界のようだ。そして『ミッド・サマー』の儀式のように、地球が人類に向けて増えすぎた人口を間引きするものだとしたら腑に落ちる。
2、『天気の子』の人柱
新海誠監督の『天気の子』は、実は『ミッド・サマー』に劣らない恐怖を内包している。この映画でさりげなく使われている”人柱”という言葉。ビルの屋上にある鳥居の向こうに生け贄をささげるイメージと、映画が水没してゆくラスト近くで「2億年前は江戸も海だった。」というセリフなどに敏感に反応してしまう。この言葉の別の意味は、小松左京に言わせれば『日本沈没』である。
これは日本映画だが、『ミッド・サマー』からの文脈に乗れば、これは地球が人類に対する”間引き”を求めているとしか思えない。
地球に最もはびこりすぎた害悪である人類。
この害悪は知性を持っていることがやっかいだ。
地球があるべき姿を求めて様々な方法で人類を追い詰めようとするが、次々に跳ね返される。次々にワクチンが作られて、地球がもたらそうとするバランスに対抗しようとする。
そろそろ人類は地球からの要求に応じるときが来たのではないか。
増えすぎた人口。
破壊される自然。
災害が災害を呼び、格差が広がるばかり。
このアンバランスな社会にバランスがもたらされる時が来た。
そう思うのは自分だけだろうか。
人類は間引きにあっている。増えた人口をデクラインする時期が来たのである。
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