dalichoko

しょうもない

映画の未来

”日本映画の未来”という意味で、是枝裕和監督が昨今の映画事情について東京国際映画祭のインタビューに応じた内容が興味深い。
 
ひとつは「東京国際映画祭世界の国際映画祭と比較して見劣りする。」ということと、「コロナ渦で経営の厳しいミニシアターを救うために、想像以上の寄付金が寄せられた。」という2点についてお話されている。
 

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特に前段の件は深刻だ。
 
国際映画祭を開催することと、個人的には廃止すべきと思っている日本アカデミー賞とが折り重なる問題のように思う。これはあくまでも個人的意見ではあるが、かつて世界にも高く評価された日本映画の歴史は黒く塗りつぶされてしまった。その要因の一つが日本アカデミー賞だと思っている。極めて内向きの映画賞は限りなくスポンサー寄りであり、国際性はまるでない。評価もテレビ向けに偏っている。そのうちテレビ局もなくなってゆくだろうが、それに合わせて日本アカデミー賞も発展的に廃止して、国際映画祭と混ざり合うべきではないか。いつまでも日テレに寄りかかっているべきではない。
 

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この問題の対岸に、東京国際映画祭の劣化が見て取れる。この映画祭が果たして、その年の最高作品を選ぶものなのか、それとも新しい人材を発掘するものなのか、というテーマが散漫で一貫性と統一性に欠ける。これらの価値観は時代とともに変化するものだから、変わってゆくことに異議はない。しかし今年の東京国際映画祭周辺の上映作品や特集を見る限り、この劣化は深刻だ。いつまでも東宝に寄りかかっているだけでは限界があるだろう。
 
これは大局的に言えば、国家の問題だ。韓国にも中国にも映画文化に注ぐ国家予算のスケールで日本は大きく劣る。これらのマーケットに関する事情は深田晃司監督と河瀨直美監督の対談などに滲んでいる。
 
ポスト資本主義とアートという美術手帖の記事にもある通り、日本はすでに世界に名だたる貧困国に陥っている。デフレの影響で芸術や文化や科学などの衰退も急降下する一方で、まだかつてのような価値観で映画祭だアカデミー賞だと催しを儀礼的に行うことに何の意味があるというのだろうか?日本は何もかも”ただ安ければいい”という身も心も貧しい国になってしまった。そして文化的な意味での映画資本ももはや塵のように消えてしまった。
 
今回の東京国際映画祭で、多くの作り手が日本映画や映画祭について厳しく語っているのは、彼らの仕事の枠組みが限界にあるからなのではないか。そのことが是枝監督や深田監督をして厳しい意見に繋がっていると思う。才能ある人材は、ポン・ジュノのように海外で活躍する機会もないということだ。是枝監督がその最後の人となるのではないか。
 
いい加減に考えを改めないと、すでに衰退しきってしまった日本映画はもう救いがない。世界映画の未来は明るいが、日本映画と日本の映画祭にはまるで未来がない。そして作り手にも限界が押し寄せていると思う。これは経済の問題であり政治の問題なのだと思う。
(=^・^=)
 

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