停滞フィールド 2020→2021
3人のアーチスト作品が並べられた企画展。場所は本郷にあるトーキョーアーツアンドスペース本郷。
まず1階の広瀬菜々&永谷一馬両氏の作品は、部屋いっぱいに真っ白な物質が並ぶ。触ることはできないが、どうも実物を固めて形成しているものらしい。
2階は渡辺 豪氏の作品で、真っ暗な中にプロジェクターで扉が延々と写される。そしてもうひとつの部屋には巨大なスクリーンが折れ曲がるように表と裏で構成され、そこに巨大な事物、例えば本などが大写しにされて少しずつ動くインスタレーション。極めて難解。
最上階の3階は田中秀介氏による一連の絵画作品。事物の捉え方が独特で、どの作品も人物の存在にテーマ性がある。なんの変哲もない構図の絵をよくみると、女性の足がカーテンの下にちらりと見えたりする。人物はそこに存在するのだが、表情を見せない。顔は見えていても輪郭のはっきりしない表情などが表現されている。
もともとパンデミックがこれほど拡大する前に企画された展示だったが、コロナ感染拡大を懸念して延期になった。しかし結果としてこの状況を予見するような”停滞”というキーワードは予言のようだ。自分としてはこれを停滞と理解もしていながったので、新しい解釈だった。
ふとギャラリーの3階の窓から外を見下ろすと、カーブミラーに道路の白線が写っている。偶然だがこれを見たとき、この展示の狙いが重なるのを感じた。このカーブミラーはこの角度から見る限り、ずっと同じ白線を写すのだ。これを停滞と呼ぶかどうかはともかく、同じ場所で同じ状態に固まる物質。存在する人の見えない表情。間近で見ると大きすぎて存在がわからない事物など、これらはいま我々のすぐ近くにあるウィルスを肌に感じさせるものだ。
世界中の何もかもが停滞し滞る中で、これらの一連の作品は、その意思が極めて難解でありながらも日頃気づかない現象を蜂起させてくれるような強さを感じさせる。これはコロナに限らず、大きな災害を目の当たりにした瞬間、唖然として動けなくなる人の真理をえぐるような厳しさも兼ねているようだ。
(=^・^=)
★
★