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しょうもない

サウンド・オブ・メタル -聞こえるということ- Sound of Metal

サウンド・オブ・メタル -聞こえるということ- 

 

ミュージシャンが音を失うというとベートーヴェンが思いつくが、この映画はそう短絡的ではない、もっと現代的だ。男は身寄りがない。女はフランス生まれのようだ。二人は同じバンドにいて、キャンピングカーで流浪の生活をしている。男はドラマーだ。

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しかし彼は次第に聴力を失い、完全に何も聞こえなくなる。彼女は彼を施設に入れようとするが、彼は自分の聴力を取り戻したい。インプラントという非保険対象で高額な手術を受けたいが金がない。仕方なく彼は同じ境遇にある教会が支援する施設に入所する。

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ここでも彼は葛藤する。どうしても施設に馴染めない。自分が聴力を失ったこととに納得しない。もともと彼はドラッグに依存していて、それから脱却するために音楽を始めたのに、また障害が立ちふさがる。それを怒りに任せてイライラしていると、施設のリーダーが「早起きしてコーヒーを飲みながら気持ちをノートに描いてごらんなさい。」と諭される。アンガーマネジメントだ。

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なんとか子どもたちとの交流や施設のリーダーの温かい支援のおかげで手話を覚え、一定程度聴力がなくても生活できるようになってくる。このくだりは感動的だ。聴覚に限らず、なにか障害を持つ人々の影で優しく見守る人がいる。しかし彼はどうしても聴覚と取り戻したい。そして車や楽器を売ってインプラント手術を受けることにする。

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そのことを施設のリーダーに告白して、機器が耳に装着されるまで施設にとどまらせてほしいと懇願するが、リーダーはやんわりとそれを断る。施設は障害とともに生きる人達の施設で、その理念を守らないと支援を打ち切られるからだ。こういう表現はリアルだ。現実にはこうした施設も一定の支援がないと成り立たないことをはっきり示すところに好感がもてる。この施設のリーダーをポール・レイシーという方が演じていてとても印象的だ。彼は本当彼の父母が難聴で手話や読唇術を子供の頃から身につけたらしい。優しさがにじみでている。

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施設を飛び出した彼は彼女を追って、彼女の実家フランスに赴く。するとなんと彼女の父親約マチュー・アマルリック

でびっくり。ハリウッド映画でもおなじみのフランス人。彼は機械をつけてフランスまで行き、彼女との愛を取り戻そうとするがうまくいかない。パーティに出ても機械の音は本当の音ではなく、脳に刺激を与えるだけの機械音だ。

 

苛立ちの中、彼は彼女と過ごしたベッドを去り、街にでる。しかし街の喧騒もまた苦痛だ。教会の鐘の音すらも雑音でしかない。苦しくなって彼は最後に耳元から機械をとりはずす。

 


SOUND OF METAL Clip - "Can't Hear Anything" (2020) Riz Ahmed

 

これは単に音が聞こえない、という話とは違う。まずこの主人公の男女に大きな格差があることが最後示される。二人で夢を追いかけていた頃は貧しい生活も苦にならないが、一度歯車が狂いはじめると最後は自分の生まれ育ちに遡る。愛は盲目だが、どうも時に難聴になるらしい。何も聞こえなくなる。しかし本当に音を失った時、この格差という隔たりは埋められない。そんな現実がにじみ出る。

 

もうひとつ。

 

雑音は音だけではない。こうして文字を追っていても、役に立たないムダな記事やニュースが多い。目や耳を覆いたくなるような悲惨な現実やそれをごまかして伝えようとするフェイクニュース。この映画の主人公は耳の機械を取り外し静寂の中、まわりの風景を見渡す。ラストの素晴らしいシーンだ。それまでとは違う美しい風景が彼の目に飛び込んでくる。喧騒を避けて、目で見る風景の美しさ。五感のひとつを失ってもほかの機能が残されていれば補うことができる。何より人には”心”と称する脳から派生する感情が残されていて、どんな逆境でも感性を揺り動かすことができるのだ。

 

映画もネットも雑音だらけだ。外に出れば雑音。施設のリーダーが「朝の5時に起きて自分の感情をノートに書いて。」と伝えたのは、その静けさの中で自分に向かい合い、本当の自分を取り戻す手助けをしようとしたことが最後のわかってくる。『ホモ・サピエンスの涙』映画があった。全く音楽が流れない。生活音だけで表現する映画。この映画が新鮮に感じるのは、あまりにも余分な音楽や音響で見る側の感情を揺さぶろうという意図的な映画やドラマが多すぎるからだ。

 

社会の喧騒を離れて自分を見つめ直すのに、うってつけの素晴らしい映画だったと思う。(=^・^=)

 

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