dalichoko

しょうもない

ウィッシュ・ドラゴン Wish Dragon

今週のお題「575」 映画見て 思い出される いつか来た道

 

Netflixで『ウィッシュ・ドラゴン』を鑑賞。これは日本のいつか来た道でもある。


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今回はこの映画とは少し違う話しから書こう。

昨年鑑賞した韓国映画『はちどり』や『82年生まれ、キム・ジヨン』など胸が熱くなるような傑作を見て、今年これまでに見ている映画を比べると、古い映画でポランスキーの『ローズマリーの赤ちゃん』では、母親になるミア・ファローの恐怖を描く映画や、最近見た『クルエラ』や『ウィロビー家の子どもたち』などの一連の作品が重なり合うことを感じる。(余談だが、映画も読書もアートも、チェーンのように繋がるときがある。)

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『朝が来る』という映画もそうだし、『ネクスト・ドリーム ふたりで叶える夢』、『アンモナイトの目覚め』、『彼女』、少し違うかもしれないが『喜劇 愛妻物語』、『おもかげ』、『ウーマン・イン・ザ・ウィンドウ』、『恋する遊園地』、『空に住む』・・・順不同で脈絡もなく支離滅裂に思えるかもしれないが、これらの映画はいずれも”女性”ではなく”母性”を意識させる映画である。

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もっと違う言い方をすると”母性の喪失”だ。いずれもここに出てくる女性たちには母性が喪失してるような気がする。土居健郎先生の『甘えの構造』を今さら持ち出すものどうかと思うが、世界から母性が失われていることで、子どもたちに”甘え”という構造が喪失しているのではないか?という仮説。都市化は母性を喪失させる。そりゃそうだ、夫婦共稼ぎで置き去りにされた子供は甘えを知らない。

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この『ウッシュ・ドラゴン』のわかりやすさは、中国の都市化で喪失する母性と父性を描く点だ。ディンには父親がいない。すこし口うるさい母親がうっとうしい。そして彼は願いを叶えるドラゴンのロンに父性を見出してゆく。問題はディンの幼馴染リナである。リナには母親が存在せず、父親も多忙で相手にしてくれない。リナが最も安らかに見えるシーンは、ディンの母親と再会したシーンではないか。彼女はこころの中にずっと母親が存在しない。目的が経済(金)となった中国社会の都市化、デジタル化が失ったものをここで描こうとしているように感じる。

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しかしそれは日本も同じ。いつかきた道である。この階段はいつか登った階段で、坂の上にはさらに長い長い「停滞(デクライン)」という坂が待っている。そしていつの時代でもこうした不安を安らげてくれるものは”母性”だったのではないか?失われた母性は失われた”甘え”でもある。『クルエラ』でも恐ろしい母親像が提示されるし、どれもこれも母親が子育てを放棄している社会を並べているように感じるのだ。

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『ウィッシュ・ドラゴン』はジャッキー・チェンがプロデューサーとなりソニーがハリウッドで作った中国映画だ。中国で先行上映されたそうだ。この映画は2人の幼馴染と龍になった王様(彼にも母性が失われている)が取り持つ親と家族の愛情物語になっていて、その傍らでジャ・ジャンクーがかねてから突きつける中国の都市化に対する懸念もやんわりと主張しようとしているようだ。楽しく見ることができる映画だが、冷静になるととても考えさせられる映画でもあった。

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