ファッション イン ジャパン 1945-2020 ー 流行と社会
戦前戦後を通じて、現代に至るまでの日本のファッション構造とトレンドを7章に分けて紹介し、最後の8章特にインタビューで綴るファッションの歴史と現代についての映像には衝撃を受けた。『ファッション イン ジャパン』
結論から言うと
「ファッションは死んだ」
である。これはわたくしの言葉に置き換えているが、おそらく関係者の皆さん、特に日本と世界のファッションをリードしてきたデザイナーやその関係者、あるいは彼らを題材に写真を撮ったり記事にしたりしたジャーナリストの諸氏が言わんとすることは”死”だと思う。もはや日本にファッションは存在しない。
この企画の素晴らしいところは、これまで体系的にファッションをアートとして構築したことのない世界を美術館で展開したことだ。プロローグの1920年代から終戦と、自分たちが生きた(あ、今も生きてますが。。)時代、すなわち1980年代から1990年代にかけてバブルの時代の華やかかりし時代のエリアに足を止める。そして感動。
プロローグは1920年代から終戦まで。
お針子から世界デザイナーへ、という流れの中で、パジャマ・ドレスから国民服までがそのまま残されている。中原淳一のデッサンなどは伝説とも言える。それでもこの時代、あるいはこの時代に限らずファッションは女性のものである。それは戦争が終わってから登場する”モガ”即ち『モダンガール』がメディアで取り上げられ、流行が生まれるところまでファッションは女性の特性だったことからもわかる。その間、戦中は誰もがもんぺと人民服を着ていた日本人がファッションに目覚めた。しかし、結論を前倒しするようだが、この100年を振り返ると、現代のユニクロなどを中心とする同一性と素材の再利用という現象(これをファッションとしての流行というかどうかはさておいて)ユニクロも人民服も同じである。デフレの行き先が戦争だとすると、ユニクロ現象はことによると近い将来の戦争を想像させる。誰もが同じ服を着て同じ思想で同じことをする。そこに2020年代からは”引きこもり社会”が覆い重なる。
(つづく・・・)
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