dalichoko

しょうもない

ファッション イン ジャパン 再び国民服へ

くどくど書いたファッション史もこれで最終回にしよう。

7章 2010年代「いいね」の時代へ

ここからの日本は転落の一途。し1990年代後半に起きた大きな震災から連鎖するように震災、災害が続いてゆく。小松左京の「日本沈没」状態といえる。持続可能社会が呼びかけられ、もう取り戻すことができないほど地球は疲弊し、それが人災となって人に襲いかかる。想定外の災害にびくびくしながら過ごす社会が現代日本であり、2010年代からその現象は加速する。凄まじい勢いで。「ノームコア」という”普通”を極限まで追求する時代で、作られる洋服も流行というファッションも死語となってゆく。

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8章 未来へ向けられたファッション

この企画全体は、温故知新の印象強く、未来への手がかりを探ろうとする試みを感じさせるが、会場の出口付近で流されるファッション業界に関与されてきた多くの関係者の言葉は悲観的だ。わたくしも同じ考えだ。戦後なにもない焼け野原から始まったファッションはお針子さんが自らトレンドを生み出す力強いエネルギーを発揮した時代から、極端な経済成長とともに個性が感性という形で暴発し弾けてゆく。そして再び訪れた没個性の同一化時代こそ、これはまさに”軍国主義の到来”とまで位置づけされる事態と感じさせる。

 

ユニクロの服は国民服

 

なのだ。選ぶ余地のない国民服。震災やコロナでぼろぼろになった日本人が着るユニクロを代表とするファストファッションは、サステナブル(持続可能)という体裁の良い響きを隠れ蓑に、プラスチックという凶器を世界中に垂れ流ししている。フリースを選択するとそこから流れ出る細かいプラスチックは、もう生態系を取り戻せるような状態ではないらしい。この記事の始まりに書いたとおり、あらゆる意味で「ファッションはもう死んでしまった。」と思わせる。

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美術館の展示室から出ると、ガラスケースに土に埋もれた服が置いてあって、そこから草が生えようとしていた。発酵しているのだ。これがせめてもの救いではないだろうか。

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日本のファッション界の歴史を見て思うことは、数多くのデザイナーが日本から世界に羽ばたいたダイナミズムである。しかしときが過ぎてみれば、それはもう日本には起こり得ない奇跡のようなもので、つまりは経済に左右されていた。強い円に裏付けられた巨額の貿易黒字を背に、才能あるデザイナーは世界を目指し、円に群がるパトロンが世界に増えていったのだ。今はそれが中国に向いている。そして日本からはもう世界的なデザイナーは生まれないのである。

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環境破壊を繰り返した日本のファッションは、その先の震災や新興宗教団体の発生を予期することができなかった。そして予期せぬ事態に構えることのできない社会は、どんどん個性を埋没させ、間違った報道にも乗せられて骨抜き平和ボケ国民が育成されてしまった。

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これがこの企画の結論である。見事な結論だ。

(長々とお読みいただき、ありがとうございました。あ?読んでない?そりゃそうですよね〜)

 


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