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しょうもない

貝に続く場所にて 石沢麻衣 第165回芥川賞

戦前から歴史のある文学賞で、文藝春秋の全文掲載は時々読ませてもらっている。
まず、芥川賞は素人には手強い。純文学というジャンルに対し、どこまで感性を高めることができるか?は経験しかないだろう。正直言うとどの作品もあまり面白いとは思えない。面白い本なら「本屋大賞」のほうが面白いし、「日経文学大賞」のほうが大衆的にとも思える。
芥川賞は、作品の評価もさることながら、選考委員の評価を見る賞なのではないかと思う。かつて選考委員だった石原慎太郎村上龍という大御所は、特に応募作品に対し厳しかった。辛辣だった。そしてこうした歴代の選考委員の目を突破することができない年、というのもあって、それがこの賞のステータスでもあったはずだ。
しかしながら昨今の芥川賞作品(ごめん、せんぶは読んでませんが・・)は、受賞ありきで、芥川龍之介を由来とするこの賞の本当の意味での受賞作があるのかどうか?がよくわからない。わかりにくい内容ならOKみたいな基準に少し違和感がある。

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こんなこと書くと、今回受賞した方たちにはとても迷惑かもしれないが、本作もまた極めて難解な作品であった。よくわからなかった。
話の筋はなんとなくわかる。ドイツに住む”私”のところに、震災で行方不明だった野宮という男性が訪ねてくる、というだけの話だ。しかし彼は幽霊らしい。幽霊だけれども、普通に存在する人間と同じで、誰もが彼の存在を認識するしメールなども送ってきたりする。私と野宮の関係もここでは細かく描かれないのだが、私も同じ東北に住んでいて、野宮は津波の被害が大きかった石巻で行方不明となったらしい。
話題はそれるのだが、たまたま少し前に石巻まで出かけて、その手前の松島にも寄ったのだが、松島はそれほど大きな被害はなく、石巻は極めて甚大な被害があったことが痕跡として残されていた。

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これを間近で見た者からすると、この作品はより重たいものとして伝わる。
野宮はどうもお盆であの世から現世に姿を現したようだが、主人公の”私”にかかわる知人にも接してきて、その存在とともに時間が経過する。
あらゆる文学や芸術の知性をもってしても立ち向かうことが難しい本作は、このように震災から経過した時間と、コロナのようなパンデミック状態とを対比させて、時間とともに薄れゆく人間の失われゆく心理のようなものをえぐり出そうとしている。
「再生や復興という”言葉”で化粧され失われた顔は幽霊のようで、無理にあてはめようとする願望の仮面」という表現があるが、これはまさに先ごろ開催された東京五輪の政治対応を重ねる言葉に読み取れる。もちろんこの作品と東京五輪の開催は重ならないが、この言葉の持つ意味は大きい。かつて政府は「復興五輪」と称していたはずだが、終わってみればメダルの数だけが評価され、”復興”などという文字はなかったかのように消え去っている。
今年あれから10年経った震災に対する各所の取材でも、被害地域の人々は取材すら拒否する人も増えていて「結局誰も助けてくれない」という無気力感に陥っているとも聞いている。これは日本が長いデフレ状態にあることと無縁ではないだろう。
これらの停滞した社会を、ドイツがかつてナチスによって占領されていた時代のことなどをじわりと重ねて、今の日本がまるでナチスに支配された国で、それを選んだのは国民だと言っているようにも感じさせる。独裁者はデフレを待ち受けている。苦しみを救う”化粧”をして人々に気づかぬような苦しみと悲しみを抱かせるのだ。

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作者の石沢麻衣さんは読書家族で育ち、知性にあふれる方のようだ。

彼女のこの作品が、広い意味で閉塞状態の国の未来を救うものであってほしいと切に願いたい。

 

 
 

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