ドーナツ経済 成長の限界 配分社会へ
ラワーズ博士は偉人の言葉を並べ、金融の罪を説く。
ニュートン「人間の狂気は計算できない。」という自然界のジレンマを示し、
ミンスキー「金融の世界では、安定が不安定を生む。安定するとリスクを冒そうとする。」
第4章はシステムについて解説を加える。
気候変動のダイナミズムを受け、人々の脳に潜む”成長”概念を改め、ニック・ハノーアーの言葉通り「機械脳から庭園脳へ」と変える必要性を示す。
こうした考え方を改めることを前提に第5章では、分配について設計している。成長による獲得から、あるものを分配(シェア)するという社会への変化。
ピケティ「富の集中、不平等はひとりでに生まれ、いずれ能力主義的な価値観は根底から覆る。」
IMF「成長と再配分は両立しない。」(彼らは再配分を前提としていない。)
このような過去の事例を見れば、もはや成長の限界がきて、残されたものを配分するしか生きる道がないということだ。日本はある意味でその最先端だろう。もう親の世代からの預金や財産も底をつき、未来は消えてゆく。成長もない。
第6ではいよいよ本題の「環境」について論じている。
CO2を”ゼロにする”ではなく”ゼロ以下にする”という目標を掲げることが求められている。
しかしドーナツでビジネスは可能か?という問題が残る。環境にいいことは金にならない。だから結局何もしない。排出量取引などをしている場合でもない。削減できなければ金を払う、という概念にムリがある。「悪の程度を下げても善にはならない。」保育園に遅刻する母親に罰金を課すのと同じ結果になるのだ。
最後に第7章で「成長にこだわらない」ことを求める。
長い歴史でGDPの成長がもたらしたのは苦しみだけだ。成長という十字架を背負って誰もかれもが生かされている。幸せとは何か?成長とな何か?について個人が真剣に取り組まないかぎり”成長”という亡霊につきまとわれて地球は滅びゆくのではないか?
とても刺激的で興奮した。
「待ったなし」これがこの本の主張だった。
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貼りました。みつけてみてくださいね。