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しょうもない

人新世の「資本論」 資本主義は現実逃避

東京の食料自給率が0%代だと聞いて「?」と思うかもしれないが、日本の食料自給率は想像するまでもなく都市部に向かって減少する。これをどう考えるか?という問題にも繋がってゆく。

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人新世の「資本論」はそのタイトル通り資本主義を真っ向から否定し、気候変動による地球への負荷を大胆に抑えるため、マルクスの「脱成長」という世界に突入してゆく。
 
第五章 加速主義という現実逃避

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アンドレ・ゴルツの技術論から、開放的技術と閉鎖的技術を比較して、閉鎖的技術がもたらす負の遺産について解説する。閉鎖的技術は人々を分断し独占へ繋がり利用者を奴隷化するといのだ。例えばGAFAがそれに当たるのではないか。もはや我々はネットやスマホという便利さを手放すことができず、独占会社の言いなりでじわじわと消費を増加させられている。そして「裕福な26人の資本家が、貧困層36億人(世界人口の半分)の総資産と同額の富を独占している。」という現実に至るのだ。
 
第六章 欠乏の資本主義、潤沢なコミュニズム
実は、物はつねに潤沢に存在する。しかし資本主義が希少価値に余分な価値をつけて流通させる。潤沢は資本主義の敵なのだ。資本主義は絶えず欠乏を生み出し、人々に余分な消費をさせることで、人々の生活を貧しくすることで成長する仕組みなのだ。例えばブランド。少しでも有名なブランドのために人は奴隷のように働いているが、実は一向に幸せにならない。ブランドは相対的希少性を生み出すことで、人々に半強制的な出費を巧妙に演出しているのだ。
 
「閉鎖的技術」は古く、エネルギーを水車から石炭、石油、そして原子力といずれも排他的で独占的なものとして変化を重ねてきた。最も閉鎖的分野だ。そして独占資本は常に他人を犠牲にすることで私腹を肥やしてきた。
しかし物の価値は変わらない。マルクスのいう「使用価値」と「価値」の対立だ。潤沢であることが資本主義には否定されるのである。

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このジレンマを我々は生きているのである。
 

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