ジョディ・フォスター主演の『モーリタニアン 黒塗りの記録』を鑑賞。
公開週にキネノートでいきなり一位(ちなみに2位は『コレクティブ』)に躍り出た。奇しくも政治に関する映画が連続して高評価を獲得するのは、総選挙の影響が多少なりともあるのだろうか。この『モーリタニアン 黒塗りの記録』もまた内部告発の映画だ。
先ごろ名古屋税関管内でスリランカ女性が亡くなった事件があって、その時の情報公開請求に対する”黒塗り”の開示が話題になったが、この事件に限らず、この映画の言わんとすることはずれも同じ。広く解釈すれば”表現の自由”を扱ったものだと認識させる。
先に結論めいたことを書くと、表現が不自由な日本ではこの映画を作れない。
この映画の中心はサラヒだ。彼が本当に強引な尋問を受けたかどうかが隠されていることを掘り下げてゆく。映画のスクリーンがワイドとテレビサイズに伸縮して、彼の過去と現在を対比させる工夫が施されている。
この映画で教訓めいたことを言うのは控えるが、この映画が事実であろうとなかろうと、現象を片側から見ていては真実に近づけない。しかも真実は必ずしもひとつとは限らない。暴言を恐れずに言えば、911テロを演出したのはアメリカであり、その中心がブッシュだった、つまりあの大惨事で多くの命を奪ったのはブッシュだった、とするのは間違いだろうか。そうすると、ブッシュのお友達だった当時の日本の首相だってイギリスの首相だって広い意味では同罪だ。彼らは人殺しなのではないだろうか。こういう映画に挑むジョディー・フォスターやベネディクト・カンバーバッチ(『クーリエ』の好演も光る)は、彼らの立場を明らかにしていてその姿勢には好感が持てる。
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貼りました。みつけてみてくださいね。