語りの複数性 Ways of telling
耳の聞こえない作家との対話。
死に直面した遺品整理士。
寄席で演じられることのない落語を演じる落語家。(柳家権太楼)
ちなみにギャラリーのエントランスには権太郎師匠の写真がドドーンと飾られている。
これは『心眼』だ。オチはここに書かないが、夢か現か幻か、というような噺だ。目が見えない状態。だからこそ見えるものもある。これがこのギャラリーのテーマだ。すごいことだ。大森克己氏の作品。
ここまできて「はっ」と気づく。このギャラリーの入り口に書かれたメッセージに「この展覧会は、フィクションであり、ドキュメントでもあります。」という文字に引き戻される。そうか我々は錯覚の中に生きている。目や耳が不自由な方の生活とはだいぶ違う感覚(錯覚)に埋もれて生きていることに気付かされるのである。
(=^・^=)
★
貼りました。みつけてみてくださいね。