逆境の資本主義 コロナと資本主義
コロナのようなパンデミックの襲来は、過去にもあったことなのに、いざ想定外の事態となったときの備えはあるのだろうか。これまでのようにROE経営を最上の状態として位置づけていいのだろうか。そのあたりをウィリアム・ラゾニック氏は労働者の立場から理論づけしている。労働者の意欲を高めて好循環を維持することで中間層を押し上げる。株主至上主義は資本主義を腐らせたとまで断言する。マネーの暴走がそれを示す。何も考えない取り引きが膨張する。これを「短期志向の罠」と表現している。これは地球という環境に対しても同じだろう。
もともと大航海時代の会社は、航海が終わるたびに解散していたが、オランダの東インド会社から会社が永続的な存在となってきた。ここから長い間、資本家と経営者が自社の利益のみも拡大させることが企業の目的とされてきたが、本来は公益を担ってこそ企業価値は高まるものだ。この矛盾を「コモンズの悲劇」に例える。
5 再生への道
この狂った社会をどのように再生するかを考えてこの本は終わる。
この狂った社会をどのように再生するかを考えてこの本は終わる。
山形辰史教授は過小投資を、伊藤隆敏教授は環境問題を示していずれも「市場の失敗」だと断言する。この失敗を補うには言うまでも国により規制が必要だ。イアン・ゴールディン氏は「資本主義とは起業家精神である」とし、リスクを取り続けるべきで、政府は完全雇用を目指す、といういわばケインズ理論を支持する発言をしている。世界経済フォーラムの創始者クラウス・シュワブ氏は「ステークホルダー資本主義」を強く主張し、もはや資本主義という表現すら不適切だと断じる。
『ドーナツ経済』や『人新世の資本論』などの流れで、たまたま日経新聞の特集を読み直して思うことはただひとつ。世界は常に揺れ動く、ということだ。常にだ。昨日の常識は明日に通用せず、明日の常識すらもいつ覆されるか分からない。「大きな政府」ではなく「賢い政府」が求められることをこの本でも言い当てているが、どんな制度にも矛盾があり、矛盾を放置すればその軋轢は大きくなる。そしてその軋轢が高まれば、常識は大きく反対側に揺れて社会は混乱する。とにきそれは”戦争”や”災害”や”パンデミック”という姿をしてジェノサイド(大量虐殺)へと繋がるのだ。
もはや資本主義は終わった。いや、終わって欲しいとすら思える。
その対岸にあるのが社会主義や共産主義だとしたら、然るべきそちらに振り子は大きく揺れてゆくだろう。しかし残念ながら、どの国も先を見越した、例えば地球環境に配慮した先々のことを視野に入れる余裕はないようだ。「賢い政府」などどこにも見当たらない。
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貼りました。みつけてみてくださいね。