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しょうもない

ライトニング・ムラリ バジル・ジョセフ

長い映画だったが、これはヒーローものというよりも、トッド・フィリップスの『ジョーカー』だった。いや、ことによると『スパイダーマン』シリーズや、ほかのヒーローものの原点にあるべき重要なことがこの映画には描かれているような気がする。
 
とにかくこの映画の悪役は極めて絶望的だ。シブという見かけのさえない男は、思いを寄せる女性が結婚し子供が生まれ、それでもこのウシャという女性を追いかける。ウシャの夫がいなくなってチャンス到来と思いきや、彼女の兄に妨害され、永遠にシブのウシャに対する思いは伝えられない。シブが雷を直撃して超能力を得た最後の最後にウシャはやっとシブの気持ちを理解する。この告白まで28年。彼は「告白のしかたがわからなかった。」と涙を流す、ウシャもそれに応じてシブの気持ちを受け入れる。しかし・・・

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この厳しい敵役としての存在をどうしても見過ごすことはできない。彼がどうしてこのような悪の存在に追い詰められたのか。魔女狩りのごとく村人から追い詰められスポイルされ、慕ってきた女性と子供まで失う辛さ。その反対で、同じ力を獲得したジェイソンは、父親が舞台で演じたスーパーヒーロー像を胸に抱いて大人になる。しかし超能力のおかげで誤解を受け警察に勾留されてしまう。

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ヒーローとその敵が紙一重なのは世の常だ。『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』で過去に対決した敵役を一手に引き受けて真正面から対峙する、というドラマにもあるとおり、善と悪はコインの裏表でその実態は同じものだ。
黒澤明監督の『野良犬』や『天国と地獄』、あるいは『七人の侍』もまた善悪を明確にしたドラマでありながら、その向こうには戦争や貧困、あるいはその闘争の歴史が刻まれている。特に『野良犬』で村上という刑事が犯人の遊佐を追い詰めるシーンは胸を打つ。この追いつ追われつする二人は、実はいつどちらにころぶかわからない立場だったのだ。
そうしてみると、この『ライトニング・ムラリ』のシブを単なる悪役として片付けることはできない。この恵まれない男には救いがたい出自の悲劇や社会事情があったのである。そのことが映画の冒頭で丁寧に描かれているので、これからご覧になる方はよく確認いただくといいだろう。
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