まれびとと祝祭
同じ高島屋でこういう展示もあった。
サブタイトル―祈りの神秘、芸術の力―とされていて、ここでも芸術というキーワードが示される。芸術などに価値はない、とか書いておいて矛盾するが、そこに”祈り”というキーワードをなぞらえることで、全く違った文化が醸し出される。
例えば沖縄の石垣島にはミルク様という微笑ましい神様がいる。しかしこれ、なんと弥勒菩薩をイメージしているらしい。未来に救いをもたらす弥勒。光瀬龍の『百億の昼と千億の夜』でも極めて重要な存在で示される。そんな存在がまれびととして地元の方々とともに存在しているということらしい。
宮古島のパーントゥというものとてもおもしろい。厄除けの神様が泥だらけになって子供を追いかけるという行事らしく、そこらじゅうがどろだらけにされるというのが面白い。泥の神に追われる子供たちの心境はいかに。わくわくするようだ。
秋田のなまはげにも通ずる催しで、子どもたちのほとんどは大泣きする。神に脅されて泣く、という行為は、地域で神様が常に見ているよ、ということを示すものだ。神の存在を実感する行事を子供心に焼き付けることで、悪いことはしてはいけない、というインセンティブにつながるのだろう。ここに理屈はない。
ほかにもアイヌ地方に伝わる伝統行事を昭和9年頃に撮影された映像で紹介したり、とてもバラエティーに富んだ企画となっている。小さなスペースなのだが、まれびとがそれぞれの地方に伝わり、大きな役割を担っていることを学ぶ。
まれびとは存在する。
それは信仰とか教育ではなく地域社会そのものだ。しきたりともいうかもしれない。地域社会が崩壊し、都市化がすすむことで日本は瀕死の状態に追い詰められている。都市化による巨大な経済成長という金満主義を目指したがゆえに、日本はいまおおくのまれびとを殺そうとしているようにも思える。
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貼りました。みつけてみてくださいね。