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しょうもない

大島渚賞 絞死刑

三回目となる大島渚賞のトークイベントに参加することができた。会場は東京駅前、丸ビルホール。この建物に入ったのは初めてだと思う。

ところで、この記事も長いので読まないほうがいい。しょうもない記事だ。

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エスカレーターで7階まで上ると目的のホールがある。

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今年で3回めとなるこの賞は、ぴあの企画だそうだ。生前の大島渚監督のメッセージが流される。「言論から情報への変化」いつ頃の映像かわからないが大島渚はぴあに寄せてこのようなことを述べていた。大島渚が生きた時代は”言論”の時代だったのだ。今年の受賞作『海辺の彼女たち』の上映があって、その後黒沢清監督と大島新監督を交えて三人のトークショーがあったが、劇場を包む加齢の空気を見て、大島渚の言う言論、情報ときてネット社会の老人たちは何を思うのか、ぜひ聞いてみたいものだ。受賞作の監督藤元明緒氏はまだ32歳。彼が映画に大島渚作品に接したのは、学校の授業で見た『戦場のメリークリスマス』だったそうだ。そして彼らの世代は映画を見ないのだそうだ。テレビでたまたま見た映画、というきっかけが彼の映画への入口だったらしい。そう聞いてまた劇場を見渡す。となると、もはや映画は年寄りのささやかな娯楽ということか。確かにそうかもしれない。

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大島渚作品を劇場でデジタル上映するのは難しいらしい。デジタル化された作品がそれほど多くない、という意味だ。数少ないデジタル化作品の中で、今年は『絞死刑』が上映された。奇想天外なドラマ。冒頭の死刑廃止に賛成か反対かの文字に続き、小菅にある死刑執行が行われる建物を空撮するシーンへ。そして死刑を執り行う建物をそのまま再現した部屋で大島渚自身がナレーションを行い、まさに死刑執行を行うまでのディテールを細かく解説してゆく。

1958年に起きた小松川事件を再現し、在日朝鮮人のRという未成年を絞首刑にするまでのシーンは息を呑む。まるで見る側がこの青年を殺そうとするかのような語り口に体が固まる。ラストでも大島渚は「あなたも」というナレーションで、この映画の本当の結論を見る側に委ねて終わる。

基本的にこれはドタバタコメディだ。死刑執行したら死ななかった、ということから混乱してゆうドラマ。密室劇。

しかし見る側は、この映画が露骨な日本の侵略、特に朝鮮人に対する愚かな行為について、殺人を犯したRを本当に死刑にしていいのか疑問を抱くように作られている。なぜならR以外の人物はこの映画で狂っているからだ。まともな人はだれも出てこない。このコミカルで愚かしい人物たちを日本人と位置づけ、死刑執行を待つRと対比させている。

ここまで見て、前日に鑑賞した「表現の不自由展」が重なってくる。日本人が朝鮮人に対してしてきた行為。それを置き去りにして、何事もなかったように自国の名誉を守るために慰安婦を連想させる作品などを強行に排除しようとする人たち。憲法9条をかたどるだけで、表現が封じ込められる。憲法21条の問題にすり替わる。

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大島渚はこの『絞死刑』のみならず、大胆に時代を忖度なしに表現する。『愛のコリーダ』も然り。『愛のコリーダ』で描かれたのは単なるエロシチズムではない。本当に描こうとしたのは戦争だ。そしてこの『絞死刑』もまた戦争を物語るシーンがある。死刑執行する側の戦争体験が語られる。人を殺める、という行為が当たり前となる恐怖。そして意識を失っていたRが意識を取り戻したとき、自分の罪を認めつつ、その自分を死刑にしようとする人たちも同罪だと言い出す。死刑を執行する行為も殺人だ。死刑執行する人を殺人と位置づければ、日本人は全員人殺しになるという。

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先人が犯した行為とはいえ、いまだに死刑が執行される日本に住む日本人は、よくこのことを考えたほうがいい。少なくともこの100年の間に、同じ血の流れる日本人は戦争をしかけて、多くの人種を殺してきた。そして自らの国民も殺してきた。この”殺す”という行為が我々の体に流れていることを忘れてはならない。この映画の主人公である在日朝鮮人は、日本人を”人殺し”と位置づけて問う。問われた側は茶番を繰り返し結論を出せない。

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日の丸を身にまとって告白する在日朝鮮人のR。これはもしかすると傷痍軍人を重ねているのか。日本人として戦った傷痍軍人は、戦後行き場を失って路上で頭を下げる。『忘れられた皇軍』でも描かれたこの問題を、日本はまだ終わらせていない。昨今に至っては、時間がこの問題を解決するものとでも言うように、先送りを決め込んでいる。原一男監督の『水俣曼荼羅』でもそうした日本人らしさが描かれていた。

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つくづく我々日本人はこれほど愚かなのかと思う。


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