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しょうもない

三四郎 世の中と女ごころと

三四郎は広田先生に惹かれてゆく。中でも”露悪家”と聞いたこともない言葉をめぐって広田先生の説は奥深い。
 
露悪家の不便が高じて極端に達したとき利他主義が又復活する。それが又形式に流れて腐敗すると又利己主義に帰参する。
 
短い会話だが、露悪家を政治家に読み替えればよくわかる。常に世の中は揺れ動いている。そしてそれを繰り返して進歩する、とも広田先生は言っている。これは漱石の本音であろう。漱石はこの作品に限らず、世の中の動きを信用していない。
 

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三四郎の友人、佐々木与次郎もまた三四郎をゆさぶる存在だ。彼が馬券(当時競馬があったのね?)で損をして、三四郎から金を借りる。そしてその返済を美禰子にお願いする。与次郎を信用しない美禰子は、直接三四郎に金を渡すと言ってまたまた三四郎は混乱する。

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そんな中、上野の精養軒の集まりで、三四郎は広田先生の不思議な説を聞く。
ある状況下に置かれた人間は反対の方向に働きうる能力と権利を有している。怒らせようと思って笑ったり、笑わせようと思って怒ったり。

これもまた意味深い。常に揺れ動く世の中を暗示させる。そして女性の心理もまた揺れ動いて行くのだ。社会と美禰子が三四郎を混乱させ、三四郎を散々弄んだ美禰子は、全く別の男と結婚することを決める。そしてそれを知った三四郎は「ストレイ・シープ」を繰り返して終わる。

羊は聖書にも出てくる生け贄の象徴だ。となると三四郎は要するに美禰子の生け贄にされただけなのかもしれない。しかし、広田先生の言葉は世の中よ女性の心理を重ねて、なんどか三四郎にほのめかしている。お互いに知らない同士だった列車の中で、奇しくも広田先生が言ったひとこと「滅びるね」とは、日本の未来だけでなく、女性の奔放な考えや行き方の未来をも暗示していたのではないか。美禰子という美しく奔放でとらえどころのない知的な女性を前に、三四郎は結局何もできない。何もできない三四郎とはいったい誰の象徴なのだろうか。若い三四郎は未来の象徴だ。となると、漱石はこれらの小説で、若者に対して「騙されるな」と唱えていたのではないだろうか。

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