表現の不自由展③ 小泉明郎
まだ続く、「表現の不自由展」。実は相当頭に血が上っている状態である。
ここで自分の意見を展開するつもりはないが、自分はこの国を猛烈に愛している。正月の一般参賀にも行くし、皇室の話題があればそれに目を向けて微笑んでいる。だからといって天皇制を批判する意見に聞く耳を持たないというわけでもない。それは個々の考えであり思想だ。愛国者であってもアンチな意見に興味はある。少なくとも自由表現まで弾圧されることがあってはならない。憲法にも保障されている行為。かつて大島渚が『愛のコリーダ』で戦ったことも同じ文脈にある。あの映画にも戦争の影が見える。
その意味で前山忠の反戦シリーズが過激な作品ではあると思う。
皇室ご一家の写真から人物を切り抜くとは、さすがに衝撃的だが、このカンパ入れの箱が展示側も規約に違反するとかのいわれなき理由で撤去されてしまった。いま最も世界の人々が唱えなければならない反戦の願いが閉ざされる。逆さから見れば、撤去した側は戦争に猛進したいという意思なのか?
小泉明郎のこの作品は衝撃だった。「空気#18」は合成写真である。福島に慰問に来られた天皇皇后両陛下に頭を下げる先には両陛下がいるはずだが、透明化してしまった。これには深い意味がある。放射能という透明で見えない空気と、両陛下の透明度をかけ合わせている。日本人にとって天皇制は透明な空気のようなものだが、放射能もまた透明な空気だ。
白川昌生の「群馬県朝鮮人連行追悼碑」は歴史修正主義を意味している。もともとあった追悼碑をクリスト風にかばうことで主張するのだが、その展示が取り消されるという事件が発生する。表現の自由の撤回を裁判所に訴え、一審判決は違法とされるものの、高裁では請求が棄却されている。
いま裁判所を舞台とする憲法21条問題はせめぎあいをしているらしい。この展示が大阪で展開されたときも、名古屋のバカ市長と同じで、大阪の府知事も歴史修正主義的な立場を明らかにして、表現を圧殺する意思を示している。ここは極めて危険なところだと思う。これで法解釈までが捻じ曲げられると、さらに日本は終わりに向かうだろう。
そういえばこの展示会には複数の弁護士が待機していた
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貼りました。みつけてみてくださいね。