dalichoko

しょうもない

沖縄を見よ

 去年沖縄へ旅行に行く予定がcovid19のおかげでキャンセルにした。行っても良かったのかもしれないと後悔している。行くと決めたら行くべきだ。行かない理由は“他者”。沖縄へ行って感染して、帰って誰かにうつしたら・・・というロジック。自分ではなく他者という世間体が全ての障害になっている。
 沖縄には2度行ったことがある。一度は那覇市内でもう一度は宮古島まで足を延ばした。いずれも快適な旅だった。『ひめゆりの塔』にも寄ったことがある。

 さて、その沖縄にまつわる映画を何本か見たので色々考えてみた。それはつまり、快適な旅行とは無縁の惨状やゆがみがそこにあるという事実。そして映画を振り返ると、土着性を含めた様々な歴史を読み解くことができる。物見雄山で雰囲気だけ味わうことではわからない歴史と現実があることを教えてくれる。
 岡本喜八監督の『激動の昭和史 沖縄決戦』は言うまでもなく必ず見るべき1本。このホラー映画のような凄まじい表現に言葉を失う。そういえば沖縄には“黙認耕作地”という場所があって、米軍が接収した軍用地をただで農耕できる代わりに、有事のとき戦車で踏みつぶされても文句を言えない、というところがまだあちこちにあると聞いた。そこにこの映画でずたずたにされた人の血が流れているかもしれないと想像したら背筋が凍る。目に見えないものに恐怖を感じるのは、この映画の残酷なシーンなどがどこか脳裏に残っているからではないか?
 


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 念願だった今村昌平監督の『神々の深き欲望』も見た。これは都市開発を意味した映画だった。いま自分が不動産関連の端くれで仕事をしていて、似たようなことが沖縄でも起きていたという臨場感。この映画には沖縄の暑い太陽を背景にぐいぐいと押し出されてくる人の業を感じる。1968年のこの映画で今村昌平のキャリアは一旦破壊される。映画もまた沖縄を破壊する人たちの物語だった。この破壊者に従順な地元民を加藤嘉が演じていて印象的だ。彼は『白い巨塔』などで汚職とは全く無縁のような存在感を示す役だったが、ここでは矛盾だらけの老人を演じていた。
 


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 大島渚の『夏の妹』には度肝を抜かれた。自分の父親が誰だかわからない、という少女をめぐる沖縄の旅。アメリカから返還される年、強引に作られたこの映画では、大島渚の戦友たち、創造社のメンバーが沖縄の海を背景にセックスについて議論する。見かたを誤ると無益な論争なのだが、1960年代を一貫して戦ってきた大島渚の節目ともいえる映画。彼の国歌に対する闘争はこの後形を変えてゆくことになる。
 


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 このほか、『ソナチネ』や『ナビィの恋』など、いずれも沖縄という背景をうまく使った傑作が並ぶ。寅さんも沖縄を舞台とした作品があったし、『海燕ジョーの奇跡』、『メイン・テーマ』という佳作もあった。李双日監督の『怒り』の切り口も耐え難い現実が示される。沖縄という緩やかな空気とひりひりするような歴史という二律背反が見るものを混乱させてやまない。

 こうしてみて、沖縄とは何なのか?と問う。大日本帝国から一度は見捨てられてアメリカ国家となり、再び日本となる島々に我々はいったい何を語ることができるだろう。消えゆく戦争の影。その子孫は米軍からの被害者意識を示すだけだ。海を見渡せば隣国の船が行き交い、空には軍用ジェットが轟音を響かせる。
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