dalichoko

しょうもない

マン・レイと女性たち


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マン・レイを語るのはとてもむずかしいのだが、10年前に六本木で展示されたあの作品群とは少し趣を変えて企画された今回の展示は”女性たち”を軸にマン・レイの本質に迫ろうとする。何しろダダイストシュルレアリストの彼の作品群は、画家としての卓越した才能を写真へと飛躍させて、それをまた造形などに落とし込むという、極めて複雑な方法へと変化している。

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例えばダダイスト時代の「障碍物」という作品は、ハンガーをぶら下げているだけだが、その向こうに見える影はまるでカモメの群れのようだ。目の前にあるハンガーという現実と、その向こうで影になるカモメは全く違うもの、つまり二重性を示していると思う。となると、これはまさに現代性のあるテーマだ。彼の本名はエマニュエル・ラドニンスキー。ウクライナ人の父とベラルーシ人の母を持つ。いずれもユダヤ系だ。恵まれた環境の彼はアメリカで生まれるが、結婚を機にフランスへ移り住んだときからマン・レイを名乗るようになる。ここですでに彼は変身する。カフカの『変身』のように。

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変身とは変化だ。そしてある意味での匿名性がある。このしょうもないブログも”dalichoko”という匿名で記事を書いている。マン・レイがどこまでこのような社会の到来を予測していたかはわからないが、先ごろ鑑賞した細田守監督の『竜とそばかすの姫』に重なってゆくような気がするがどうだろう。人には言うまでもなく二重性や多面性があって、表出されるのはその一部だ。しかしときとして全く違う人格が現れるときがないだろうか。ドストエフスキーが『分身』で書いたことも重ねて、人の中にあるドッペルゲンガー的な世界に迫るのがこの展示の趣旨だと理解できる。すごことだこれは。

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そしてこの展示は、マン・レイの女性たちにまつわる部分にフォーカスして時代ごとにテーマを分類する。アメリカで生まれ、パリに向かいシュルレアリストとなる過程で出会った多くの女性。マン・レイの女性遍歴によって、当時の時代性とテーマが明らかにされている。カフェで店員にクレームをつけているキキ・ド・モンパルナスの存在は明らかにマン・レイの作品へ大きく影響している。

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あるいはリー・ミラーとの出会いから生まれた「天文台の時刻に」は、10年前の展示でも紹介されいたと思う。この唇はまさにリー・ミラーの唇だと言われている。

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時代ごとに付き合う女性を変えるのもまた、前述の変身であり変化なのかもしれない。それは時代の変化、社会の変化、いずれも時間軸とともに変わってゆくものと現象。進化であったり後退であったり、成長であったり退化であったり、様々な時代とその時代に存在した自分とを対比させ、様々なアイデアを作品に示してゆく。

 


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