日本アカデミー賞廃止論

この賞が創設された頃から言われていることだが、このテレビ局主導の映画賞はやめるべきだ。

黒澤明監督はかねてから「国際映画祭」方式を推奨しており、それは東京国際映画祭という形で一定の成果を残していると思う。各国の国際映画祭の中でも、東京国際映画祭は、若いアーチストを中心に選ばれ、将来を担う可能性を示す映画祭とされている。

反面、

日本アカデミー賞はハリウッドのアカデミー賞をイメージしつつも、日本レコード大賞方式を映画に置き換えた演出で、しかも内向きだ。国内の映画の、しかも一定の興行に乗る作品しかノミネートされない。日本アカデミー賞の歴代受賞作のクオリティが高いか低いかという話しではないが、例えばキネマ旬報ベストテンのように。興行とは無縁でありながらクオリティの高い映画、あるいは興行的には及ばなくても、映画界に影響を及ぼしうる可能性を示すものでもない。

今年、日本アカデミー賞廃止論に至った個人的理由は、優秀外国作品賞に『パラサイト 半地下の家族』がノミネートすらされていないことだ。ここに政治的な作為を感じる。日韓関係が良好でないことを理由にこの傑作をノミネートすらしない選者が運営するテレビ局主導の映画祭のどこに価値があるというのだろうか。本当に映画芸術を学び、この文化の可能性を信じる者なら、国家間がギクシャクしていても、むしろ反対にもっともっと韓流を受け入れ学び、市民レベルで交流を深める努力をするのが勤めではないのか?対立を助長するような体制寄りの愚かな偏見だらけの関係者に平等なジャッジができるのだろうか。きっと金でももらって投票しているのだろうよ。

 

創設当時から意味がないと任じていたこの賞だが、今年はっきりとその主張を顕わにさせてもらう。日本アカデミー賞など、存在そのものが無駄だ。

  

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今さら「ノーサイド・ゲーム」

なんというベタなドラマかと思う。

しかし、これが昨年のワールドカップ前に放映されたとしたら、それは多くの視聴者を感動させたことだろう。

ついつい勢いあまってDVDを借りて今さらながら全部鑑賞してしまった。

泣いた

泣いた

 

いくつもある感動をひと言で説明はできないが、これはラグビーのドラマではない。

ラグビーを題材にしたビジネスドラマである。もちろん池井戸潤さんの原作なので当然なのだが、池井戸ワールドである企業内部の醜い権力争いと、ラグビー協会の古い体質を批判した、かなりシビアなドラマなのだ。

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ドラマとして最も秀逸なのは元日本代表、廣瀬俊朗さんである。

このドラマは彼をキャスティングした時点で勝利している。

彼がドラマの冒頭から存在感を示す。大泉洋さん演じるGMを当初敵対視し、自らの体力の衰えで世代交代で退き、優勝を決める試合でけがを背負いながら、引退を覚悟でチームを勝利に導く。

後輩にポジションを取られたときに抱擁するシーンには慟哭した。

そして最後の試合の覚悟。

これはおそらくラグビーに限らずスポーツでも会社でもどこでもあることだ。

しかし彼はそれを本当のこと以上に本当らしく”演じている”のである。

このドラマの誰よりも彼の存在が大きい。

素晴らしいドラマだった。

(=^・^=)

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半地下の快挙

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アカデミー賞の発表があって、天才ポン・ジュノ監督の『パラサイト 半地下の家族』が作品賞を受賞した。国際長編映画賞はもちろん、ポン・ジュノが監督賞も受賞した。

パルムドールと受賞作品のアカデミー作品賞は『マーティ』以来。外国語映画の作品賞は『アーチスト』以来だそうだ。

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そういう記録とかよりも、ポン・ジュノ監督のハリウッド戦略は巧みだ。『スノー・ピアサー』や『オクジャ』でハリウッドと対等に渡り合い(というか資金をたんまり出資させ)、自国でこれまでにないかなりプライベートで独創的な映画を演出してアカデミー賞をゲットしたのだ。この巧みな戦略に敬意を表する。

 

しかしながら、こういう下品で商売っけのある話よりも、このところの高品質な韓国映画の代表する形でポン・ジュノが世界最高峰のパルム・ドールアカデミー賞を受賞したことの価値が、この映画の本質にひた隠しにされている世界の現実だった、というのが驚きだ。つまり、、、

 

世界は半地下状態

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にあるのだ。半地下の快挙である。

もともとこの半地下状態、言い換えると中途半端な中流意識は世界を安定させていたのだ。中流階級の安定は経済学的にも安定を示す。貧しくもないけど大金持ちでもない、というこの中途半端さが世界平和に礎だった。しかし、この映画の示すものは、その中途半端な中流階級がいよいよ貧困化してきたことで、世界がどんどん悪い方へと向かうことを暗示している。この映画の象徴的に描かれる豪雨。世界に広がる自然災害と中流階級の没落は比例しているのだろうか。新海誠監督の『天気の子』や、阪本順治監督の『半世界』も、どだろういずれも半端な世界が沈んでゆく。

 

その意味ではアメリカという国家が半端の代表だったのに、格差の広がりと富の集中が、韓国代表の『パラサイト 半地下の家族』を選んだ必然は確かにある。

 

半地下の快挙には、案外アメリカという国家をも重ねて透けてみるようにも感じさせるのだ。

 

(=^・^=)

 

  

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キネマ旬報ベストテン 2019年度

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 キネマ旬報ベストテンが今年も発表になって、外国映画は評論家も読者も『ジョーカー』を1位に選出した。これは素晴らしい結果だったと思う。それほどこの映画が時代を反映したということだ。フィクションなのに。

ジョーカー』については別の記事で書いたので省略するが、評論家、読者ともに格差や差別や偏見についての作品を選出した傾向が読み取れる。

中でも、個人的にはイ・チャンドンの『バーニング 劇場版』が印象的だった。あの映画は過去と未来をつなぐ分水嶺ともなるようなすごい映画で、村上龍の原作をなぞりながら、ポン・ジュノの傑作『パラサイト 半地下の家族』へと結ぶ時代の変節をも背負っているような映画に感じた。素晴らしい映画だった。

 

対して、ベストテンにランキングされる日本映画を1本も鑑賞していない。これは個人史的にほぼ初めてのことかもしれない。これからDVDなどで確認してゆくつもりだが、日本映画が映画館に足を運ばせるに足りる作品を作り得ていない、という実情を示しているような気もする。心から残念に思う。日本映画はアニメが上位にこないと成り立たない。少なくともキネ旬の評論家も読者も、アニメのクオリティを確信していない。昨年でいえば『天気の子』がギリギリということだろう。是枝裕和監督のフランス映画も評価という意味では撃沈したようだ。

(=^・^=)

  

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沖縄の映画館

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まずは今朝の日経より。春秋。

1948年1月、激しい戦争で焦土になった沖縄に、米政府の許可を得た戦後はじめての映画館ができた。那覇の目抜き通り、国際通りの由来になったアーニーパイル国際劇場だ。劇場主の高良一は映画の製作にも乗り出し、2年後劇映画「おきなわ」の準備が始まる。
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▼戦争で両親をなくしたヒロインが生き別れた弟をさがすストーリー。新人女優が公募で選ばれ、両親役に沖縄芝居のベテランが内定する。しかし企画は流れた。沖縄戦は米軍を刺激すると、沖縄民政府がタブー視したそうだ。さまざまな理由で未完におわった作品をまとめた世良利和著「外伝 沖縄映画史」に教えられた。

▼あの大ヒット作、今井正監督の「ひめゆりの塔」(53年)の前にも幻の企画があった。「きけ、わだつみの声」(50年)の姉妹編と売り込むなど大手各社があの手この手で製作をもくろむが、かなわない。朝鮮戦争の勃発で米国が戦争描写に過敏になったのも一因だ。戦後の沖縄映画には長く戦争と米国の影がさしていた。

▼高良の予見どおり、人影少ない国際通り一帯はその後、映画館がひしめく繁華街となる。戦後75年がたった今、残る映画館は「桜坂劇場」のみである。とはいえ設立15年で年間300本の映画を上映、100以上の市民講座を開き、沖縄音楽を発信する文化拠点だ。社長の映画監督、中江裕司さんが高良の志を継いでいる。

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この文脈で語ろうとすると、自分の原点は有楽町から銀座一丁目

 

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このような巨大な映画館は最近なかなか見かけないが、巨大な映画館が超満員(通路に座っている人、立ち見の人もいた。)が大勢で巨大なスクリーンを見て、笑って泣いて考えて・・・

そういう空間を自分たちの世代は経験している。テアトル東京の巨大スクリーンを2階席から見下ろし、カーテンが開くのをドキドキして待つあの瞬間。(2階席は指定席だが、朝一番の回だけ自由席となる。)

あの空気はとても便利になったシネコンの座り心地のいい椅子で見る映画とはまた少し違う。

もちろん今見る映画のほうが見やすいし心地よい。チケットを買うのに長蛇の列に並んでやきもきする必要もない。

だが、あの時代のあの空気はまた格別である。

日経の記事を読んであの時代がよみがえる。

(=^・^=)

  

 

 

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あしたはどっちだ?

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あしたのジョー」というと、読んでよし見てよし。これほどまでにのめりこんだドラマもないだろう。梶原一騎原作ちばてつや作画。Wikipediaを読むと、ちばてつや先生の意思が相当ドラマに反映されているようだ。

Netflixでシリーズ放映されているのは「あしたのジョー2」で、力石徹死後の矢吹丈を描く。本もテレビもまんべんなく見たつもりだが、あらためて見直すと忘れてたり見過ごしていたシーンが多い。

 

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力石徹をリングの上で死に至らしめた苦悩する矢吹丈に、新たなライバルとして登場するのがカーロス・リベラだ。世界ランキング入りすらしていないジョーの実力をいち早く見抜いたリベラは、自分の生い立ちに重ねてジョーをリスペクトする。二人は死闘を繰り広げるがドローで終わり、リベロは世界チャンプへ挑戦してゆく。しかしすぐ、この偉大なリベロが1RでKOされたと聞いてジョーの心境が変化する。

 

リベロを瞬く間に倒した世界チャンプに挑戦すべく、ジョーは金竜飛やハリマオという難敵を減量などで苦しみながらも倒し、世界チャンプ、ホセ・メンドーサとの闘いに挑む。

 

まぁこの際ストーリーは概ね誰もが知るところなのでいいとして、まず、テレビシリーズの続編としての印象だが、テーマ曲も違うしマンモス西の声も違う。

♬サンド〜〜バァッグに〜〜♬

♫にくい〜、あんちくしょ〜の〜♪

ではない。マンモスの声もあの”もごもご感”はない。

それでも原作の強みを存分に生かしたドラマが展開され、どのエピソードもうまく演出されていた。やはりすごい!

こどドラマは最も濃厚な部分である力石徹との闘いですべてが終っている。

しかし、後半のこのドラマはジョーが”真っ白い灰”になるまでの展開を、白木葉子などの存在を媒介にして力石徹へのレクイエムのように進めている。

 

丹下段平泪橋、山谷ドヤ街など、貧しい橋の下から這い上がるジョーのストイックな性格ががっちり描かれているのである。戦後の臭いがする貧しさと、ボクサーの汗など、泥臭さと汗臭さが漂う世界を美しく演出しているところも魅力だ。

矢吹丈というたぐいまれなキャラクターに支えられつつも、この時代の貧しさと現代のデフレによる貧困とでは趣きが異なる。あの貧しさの先には小さくても胸が躍るような”光”があった。

今はお先真っ暗。

同じ貧しさでもさきに見え隠れするものの期待度で、生きる意味や張り合いが変わるものなのだ。

今は、あしたもあさっても、どっちを見ても真っ暗だ。

(=^・^=)

 

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See You Yesterday

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暇つぶしに見たこの映画だが、これを単なる子供だましの映画だとかなんとな感想やレビューを書いている方がいたとしたら、それはお門違いである。ここは冷静になるべきだ。これはすごい映画だった。

 

まず、なぜマイケル・J・フォックスが出ているのか?それは言うまでもなく『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を思い起こさせるためだ。あの映画もタイムマシーンのデロリアンで過去に遡る映画だ。しかし、、あちらが『バック・トゥ・ザ・フューチャー』でこちらが『シー・ユー・イエスタデイ』なのはなぜか?

 

よく考えると、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の主人公の白人少年が1985年から30年さかのぼることの意味はまるでなく、しかもあの映画には大きな欠陥が存在する。1955年からの30年は、アメリカという国が最も大きく変化した期間である。その意味であの映画に黒人が存在しないというのは極めて不自然だ。

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実はこれロバート・ゼメキスの問題なのだ。彼の代表作『フォレスト・ガンプ』がそうなのだが、あの映画は主人公のガンプが時代を超えて生きる姿を映す映画で、その中にベトナム戦争は描かれても黒人解放運動は全く触れられていないのだ。それは『バック・トゥ・ザ・フューチャー』も同じで、いかにも白人至上主義に固められたがちがちの保守派的立場をとるゼメキスの偏見がそのまま表れているのだ。

 

この『シー・ユー・イエスタデイ』は、『ブラック・クランズマン』などのスパイク・リーが仕掛けた時限爆弾のような皮肉な映画となっていて、冷静に見るとこの主人公の黒人少女は『バック・トゥ・ザ・フューチャー』でマイケル・J・フォックスが演じたマーフィの対岸にいるのだ。

 

小さな事件をきっかけに黒人の少年少女がたった一日を行き来する。そして10分間という限られた時間で何かをしなければならないが、何度やってもうまくいかない。

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決定的なのは、主人公の兄が白人警官の誤射されて死ぬ、という結末が何度も何度も繰り返されるのだ。『フルートベール駅で』や『デトロイト』のような黒人に対する迫害という厳しい現実をこの映画でもしっかり見せている点で、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を完全否定したのである。ここは拍手を送るべきところだ。

 

少女が巻き起こした事件で兄が死に、そのことで暴動が起きて大騒ぎとなる、という展開は笑えない。そして映画の終わり方も実に見事で、「See you yesterday」と言い残した兄の姿がぼやけてゆくシーンを暗示的に示しつつ、少女が必死に生きようとする姿を印象付けている。ここは無意識に涙が止まらなかった。

 

短くまとめたいい映画だし、コメディとしての語り口もうまいが、実はこの映画にはアメリカという国が過去に見過ごしてきた現実、見て見ぬふりをしてきた現実をしっかりと見せているのである。

 

必見である。

 

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