首里の馬 高山羽根子著
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主人公の未名子は沖縄のある個人資料館でただひたすら資料の整理をしている。ドラマの始まりはこの沖縄の個人資料館の高齢女性の所有者”順(ヨリ)さん”と娘の”途(ミチ)さん”のことが延々と語られる。
未名子は”クイズを出題する”という仕事に転職する。世界のどこかにいる人に向けてネットを通じてクイズを出題する、というだけの仕事。ここで彼女は三人の人と仕事をする。
ある日庭を見ると、突然動物がいる。どうやら宮古馬が迷い込んだらしい。彼女はこの馬をヒコーキと名付け、村のほこらで飼育することにする。
もともと努めていた資料館が壊されると聞いて、未名子はクイズ出題の仕事を辞めて、資料館に残された莫大な資料を何とか残そうとする。
とまあこういう展開のドラマだ。
芥川賞らしくなんとも不思議な物語なのだが、孤独な女性が語り一人称は、この女性の生い立ちと思想を語ろうとする。沖縄という題材とは関係なく、孤独な女性が世界のどこかにいる誰かと会話するあたりがユニークだ。「情報は常に”現在”ではなく、無限の数の”現在”が通過してゆく。」という語り口は説得力を持つ。情報そのものは動かない、ということだろう。
舞台を沖縄にした、ということでこの小説は一定の価値を生んでいると思う。資料館が破壊されることと、迷い込んだ宮古馬との触れ合いが彼女を成長させてゆく過程で、彼女は滅ぼされる沖縄の歴史を語る資料を何とか残そうとするのだ。「ノスタルジーの補正がかかった記憶を見よう見まねで元の状態に似せながら、文化を曖昧につまはじきしている。」という部分に著者の沖縄に対する意思が現れている。
人類は愚かな歴史も何もかも”忘れる”という行為によって進化してきた。そのワンシーンを沖縄を舞台に描いたこの小説の中に”戦争”という言葉はほとんど出てこない。その代わりとして絶滅種である宮古馬を示すことで暗示的に滅びゆく沖縄の記憶を残そうとしているようだ。
素晴らしい語り口の柔らかなドラマであった。
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