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しょうもない

沖縄の映画館

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まずは今朝の日経より。春秋。

1948年1月、激しい戦争で焦土になった沖縄に、米政府の許可を得た戦後はじめての映画館ができた。那覇の目抜き通り、国際通りの由来になったアーニーパイル国際劇場だ。劇場主の高良一は映画の製作にも乗り出し、2年後劇映画「おきなわ」の準備が始まる。
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▼戦争で両親をなくしたヒロインが生き別れた弟をさがすストーリー。新人女優が公募で選ばれ、両親役に沖縄芝居のベテランが内定する。しかし企画は流れた。沖縄戦は米軍を刺激すると、沖縄民政府がタブー視したそうだ。さまざまな理由で未完におわった作品をまとめた世良利和著「外伝 沖縄映画史」に教えられた。

▼あの大ヒット作、今井正監督の「ひめゆりの塔」(53年)の前にも幻の企画があった。「きけ、わだつみの声」(50年)の姉妹編と売り込むなど大手各社があの手この手で製作をもくろむが、かなわない。朝鮮戦争の勃発で米国が戦争描写に過敏になったのも一因だ。戦後の沖縄映画には長く戦争と米国の影がさしていた。

▼高良の予見どおり、人影少ない国際通り一帯はその後、映画館がひしめく繁華街となる。戦後75年がたった今、残る映画館は「桜坂劇場」のみである。とはいえ設立15年で年間300本の映画を上映、100以上の市民講座を開き、沖縄音楽を発信する文化拠点だ。社長の映画監督、中江裕司さんが高良の志を継いでいる。

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この文脈で語ろうとすると、自分の原点は有楽町から銀座一丁目

 

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このような巨大な映画館は最近なかなか見かけないが、巨大な映画館が超満員(通路に座っている人、立ち見の人もいた。)が大勢で巨大なスクリーンを見て、笑って泣いて考えて・・・

そういう空間を自分たちの世代は経験している。テアトル東京の巨大スクリーンを2階席から見下ろし、カーテンが開くのをドキドキして待つあの瞬間。(2階席は指定席だが、朝一番の回だけ自由席となる。)

あの空気はとても便利になったシネコンの座り心地のいい椅子で見る映画とはまた少し違う。

もちろん今見る映画のほうが見やすいし心地よい。チケットを買うのに長蛇の列に並んでやきもきする必要もない。

だが、あの時代のあの空気はまた格別である。

日経の記事を読んであの時代がよみがえる。

(=^・^=)

  

 

 

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