ニッポン国 おかんアート村
渋谷公演ギャラリーで展開するアール・ブリュット、すなわちチープなアートの新しい展示があったので飛び込んだ。無料というところがいい。渋谷はお金がなくてもアートを堪能できるのだ。
このコンセプトでいうと、ほとんど資本を伴わない消費、という意味で画期的な展示といえる。日本のおかあさんが昔から当たり前に作り上げる楽しいもの。
この中には家に何かを持ち合わせている方もいるだろう。どこか懐かしささえ感じさせる。
ひとつは、都市化が進み核家族化するまでは、どの家も三世代、四世代の家があり、親から子や孫へと何かしらの伝承があった。こうした美しい工芸品のような作品群も、このような場所で展示されるものではなく、各家庭で作られていたものである。
またそういう伝統を商材にしてレシピのようにしていた時代もある。これは日本が世界に誇る繊維国で、世界へブランドが日本を下請けにしていた時代。手先の器用な日本人が習慣的に針仕事などを当たり前にする時代。
ところが沖縄の本土復帰と引き換えに、繊維輸出が抑制され、いわゆる繊維不況に陥る頃から国内の製造業はさらに後進国だった中国をはじめ、東南アジアにシフトしてゆく。こうした歴史的背景はもとより、当たり前だった家の中のアートもまた都市化で地方都市から子供が消え、伝承の受け皿を失ってゆく。
ひとつは、都市化が進み核家族化するまでは、どの家も三世代、四世代の家があり、親から子や孫へと何かしらの伝承があった。こうした美しい工芸品のような作品群も、このような場所で展示されるものではなく、各家庭で作られていたものである。
またそういう伝統を商材にしてレシピのようにしていた時代もある。これは日本が世界に誇る繊維国で、世界へブランドが日本を下請けにしていた時代。手先の器用な日本人が習慣的に針仕事などを当たり前にする時代。
ところが沖縄の本土復帰と引き換えに、繊維輸出が抑制され、いわゆる繊維不況に陥る頃から国内の製造業はさらに後進国だった中国をはじめ、東南アジアにシフトしてゆく。こうした歴史的背景はもとより、当たり前だった家の中のアートもまた都市化で地方都市から子供が消え、伝承の受け皿を失ってゆく。
幼い頃、たまに祖母の家に行けば必ずなにかがあった。そして目の前で家にある新聞紙や残り物の切れ端などでなにかを作ってくれる。そして作り方を教えてくれる。自分でなにかを生み出す楽しさと人から教わる喜びを感じる。
いま子供になにかを教えてくれるのはネットでありスマホでありゲームだ。誰も教えてくれない。教える側の親もめんどくさいから子供にYou Tubeを見せるだけ。ぬくもりを失った伝承、生命のない教育。これが日本だ。いか日本だけではないのかもしれない。
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貼りました。みつけてみてくださいね。