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しょうもない

アンネ・フランクと旅する日記  アリ・フォルマン

アンネ・フランクと旅する日記』原題は”Where Is Anne Frank”
筋書きに合わせて言うなら”Where Is Anne Frank's dialy”だ。映画の後半で”Where is dialy"という文字が踊る。『戦場でワルツを』のアリ・フォルマン監督作品。
キネノートの『アンネ・フランクと旅する日記』はこちら。少し長いが。


www.youtube.com

この映画の主人公はアンネ・フランクではない。アンネ・フランクがオランダの隠れ家で毎日書いた日記。その日記で彼女はイマジナリーフレンドであるキティという赤毛の少女を想像する。このキティが映画の主人公である。『ジョジョ・ラビット』で主人公の少年がヒトラーをイマジナリーフレンドとし、屋根裏に匿う少女と出会う。あの世界が近いかもしれない。

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アンネの想像上の人物であるキティだが、この二人は時として対立したりする。そしてその想像の向こう側には、当時の映画スター、クラーク・ゲーブルなどがいたりする。この架空の人物でありキティが誘うのは、過去のアンネ・フランクにまつわるドラマで描かれなかった世界、それはアンネの日記が書かれなくなってから、アンネが亡くなるまでの最期の七ヶ月を描いた物語である。(アリ・フォルマンがインタビューで明かしている。)

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もしこれからこの映画を見ようとする方がいるとしたら、冒頭の豪雨のシーンをよく見てほしいと思う。アンネ・フランク博物館の前に並ぶ人々を横に、川沿いでテント生活をする家族がいる。このシーンをよーく見ておくと、最後の最後にとてつもない感動が押し寄せる。あのテントはなんだろう?あのテントが最後に何かに変化する。そしてテントを飛ばされた家族はったいなんでテントで暮らさなければならないのだろう。ときは現代の話である。
そう思うと、この記事の前に書いた『ウィンター・オン・ファイアー』が折り重なってくる。
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そして無力な自分を思い知る。
アンネ・フランクがいまこの時代にもたらすのは、実は見えない危機を示すことなのだ。アリ・フォルマン監督は奇しくも紛争地域のことをこの映画になぞらえて作っているのだが、その普遍性がなんとたったいまこの瞬間にも虐げられている人たちのことを代弁していることに苦しくなる。
我々はこの平和ボケで沈みゆく日本で何もすることができないのだ。政治家が日本国憲法第9条をこの機に乗じて書き換えようとしているのにだ。
しかし、この映画は違う。
アンネが創造したキティは自らの意思でことを成し遂げる。彼女が最後に屋上から見下ろすシーンはまるで『ウィンター・オン・ファイアー』で感動を及ぼすキエフの群衆にも見える。
言葉はいくらでも連ねることができるが、現実には一歩も動くことができない。
このジレンマ。
 
 

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