dalichoko

しょうもない

大衆迎合主義(ポピュリズム)

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今日、『名もなき生涯』を見た。ナチスへの忠誠を拒否したある農民とその家族の話だ。テレンス・マリックは現代の映画監督としては異質で、テオ・アンゲロプロスアンドレイ・タルコフスキー、あるいは最近だとアンドレイ・ズビャギンツェフが意識した世界を唯一おぼろげに重ねている巨匠だ。

 

この『名もなき生涯』は、ナチスを拒否した農民の話でありながら、実は大半が同じ村の人たちから疎外され罵られ村八分にされる姿を示す。ナチス占領下ではオーストリア農民もほぼ全員がナチスを支持していた。今でこそこの主人公が正しいことを誰もが知っているのだが、当時この状況で”死”を賭けてでも真実を貫けるものだろうか。

 

時代も設定も異なるが。フォックスニュースのセクハラ問題を暴露した『スキャンダル』という映画にも同じことが言える。『名もなき生涯』とこの映画の差異はSNSだ。Me Too運動のようなことが可能になったのはSNSのおかげだ。

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ナチスの映画だと『ジョジョ・ラビット』もそうだ。ヒトラーユーゲントの少年は父親不在をヒトラーへの忠誠で補おうとしている。しかし、母親は地下で反ナチ活動をして殺される。母親の死を境に初めて少年がナチの矛盾に気づく。これもまた大衆迎合への反比例だ。

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その意味で圧倒的にポピュリズム保護主義と格差を同時に描いた傑作は『ジョーカー』だ。これ、フィクションである。フィクションでありながら、これほど臨場感を感じるのは、舞台背景を1970年代に重ねたからだ。ここにはベトナム戦争の影がある。

 

国は違うが『大統領の理髪師』という映画だってそうだ。たまたま大統領府の近くで開業する理髪師が、当時の大統領に狂信的に心酔することで、自らの家族をも崩壊させてしまいそうになる。

 

矛盾は覚悟している。

 

しかし、この矛盾を受け入れ乗り越えるかどうかは、個々の自覚にかかっている。例えていうと、昨年『あいちトリエンナーレ』で表現の自由がほとんど侵害されてしまった。それはある都市の下品な市長のひとことで混乱を呼び起こしたものだ。しかも恐ろしいことに、この市長を支持する市民が多いと聞いて背筋が凍る。(民度の低い都市だ)これはまさにポピュリズムを戦争に転嫁させる典型である。

 

この愚かな市民にものを申しても聞く耳をもつまいが、くれぐれも冷静に考えたほうがいいだろう。愚か者め。

(=^・^=)