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しょうもない

ポスト資本主義とアート (美術手帖)

アートに限ることではないが、文学も音楽も小説も映画も、いずれも売れるから作る者がいる・・・という前提条件は需給の関係だ。どんな素晴らしい作品があっても売れなければ経済として成り立たない。そして経済が大きくなればなるほど利益は逓減していゆくのである。
 
その意味で今月の美術手帖は刺激的である。「ポスト資本主義とアート」
 
作家が紳士顔をして問題提起をするが、その下々で働く声なき人々はパワハラの怯えている。 これがアート現場の実態だ。この問いに哲学者のマルクス・ガブリエルは「誰が美術館を掃除しているか?というとあなたがBlack lives matter運動でサポートしようとしている黒人ですよ。」という回答は重たい。
 

 

政治学者の白井聡氏の”贈与”という展開も興味深い。「新自由主義社会になると”感性”までもが資本主義に包摂されてゆく。」この包摂とはマルクス資本論に出てくる。同氏の「武器としての『資本論』」では資本主義を逆から捉えようとしてるように思える。これに対し白井昌生氏の「贈与としての美術」アート作品などをみて「こんなにありがたいものがあるのだから、だれかにお返ししなきゃ。」という発想をここでは”贈与”として例えている。

 

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アートに明確な経済や資本を当てはめたのは紛れもなくマルクスと同じドイツ人のヨーゼフ・ボイスがその一人だろう。貨幣価値が東西ドイツで隔たりがあることを作品で表現している。「7000本の樫の木」プロジェクトでボイスは露骨に資本側から金をむしり取り、強引に街路樹を次々に植えてゆく。無駄な抵抗であっても彼はこのプロジェクトを延々に続ける。

 

 

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アマリア・ウルマンは「言語と資本主義の関係」からコロナ下の芸術の在り方を問う。スペインのゴヤを例えに、王室との関係を維持しながら自らの主張を曲げずに貫いたことを紹介する。これは芸術と官僚という関係性に飛躍する。人々の税金を芸術につぎ込むことの是非。

 

 

要するにゴッホの高額な絵画は本人の手に対価として貨幣が届けられなかったということだ。このこととコロナで外出を控えざるを得ない人々にアートはどのような役割を背負うのだ。アートの社会性と資本の関係にパンデミックというポイズンを垂らすとどうなるか?を問うているのである。

 

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内藤礼さんのインタビューも感動的である。純粋で深い存在について探し続ける旅人。聞き手の問いもまた素晴らしい。「精霊」という作品を見て慟哭する人がいる反面一瞥もせずに気づかず去ってゆく人がいる。感性でこの作品を見る人とそうでない人がいる。存在とは何か?という問いは極めて宗教的で科学的だ。母型という見るものを原点に立ち戻らせる強いパワーがありながら控えめに存在するもの。素晴らしいインタビューであった。

 

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 『バンコール』の記事などと読み比べると未来を想像できるだろう。

 
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