dalichoko

しょうもない

逆転する家族関係 すべてはコスト

少し前に従兄弟と再会して久々に食事したら、親の面倒が大変だと言っていた。お互いの祖先を同じくする者同士、慰め合うような話題になった。しかも彼は、奥さんにお父さん(自分からすると叔父さん)の世話をさせている引け目がある。

彼には弟と妹がいて、近くに住んでいるらしいのだが、叔父さんの面倒を誰も見ないので、彼の奥さんにお鉢が回ってきた。施設に入れることも考えているらしいが、コストもかかるし大変だ。

もともと従兄弟が転職するというので、身元保証人になってほしいという依頼からの再会になって深刻な話題を改めて知らされたのだ。

 

 

彼と彼の弟妹とはいとこ同士なので、正月など家族が大勢集まるときによく遊んだものだ。彼とわたしの妹は同い年。実はわたしはその妹に自分の親を任せている。そしてもう何年も連絡すらしていない。

もとはといえば自分の親から届いた絶縁状がきっかけだ。母からの達筆な手紙は自分の娘宛で「もう二度と会うことはないでしょう。」という内容だった。この手紙が娘ではなく自分宛であることは言うまでもない。それからしばらくして父親から乾いた声で電話があって、「自宅を建て替えることになったから。じゃあな。」とガチャンと電話が切られた。このことは、老後の世話を妹に見てもらい、家は妹家族に相続する、という意思表示であった。

当時このような不穏な家族の対応に不愉快な思いをしたものだが、今思えば(今の処)これで良かったと思える。まだこれから先のことはわからないが、妹が老いた両親の面倒を見ていることと、自分が勘当同然に切り離されたことは、時間の経過とともに心境が変化している。いま、とてもじゃないが親の面倒を見ることなどできない。不謹慎かもしれないが、おそれずに言うと「せいせいしている」というのが本音だ。

 

 

反対に正直に生きてきた従兄弟を気の毒に思う。

彼はある種強い正義感があって不器用な男だが、本来なら彼のような生き様が評価されるべきで、自分のようなずるい生き方は道徳的とは言えないだろう。ちなみに自分の母は彼の親の妹にあたる。これまた関係がよろしくない。血縁で断絶するのは貧しさと脈々と流れるこの”血”のせいだろう。

 

しかしいずれにせよ、

 

背に腹は代えられない。今さら親の面倒を見てくれと言われても何もできない。そんな予算もない。そんな意思もない。骨を拾うこともないだろう。

 

 

友人と時々会っても、10年前の話題は自分の子供の話題だったが、今は親を背負う苦労の話題ばかりだ。そしてそれには金がかかる。老いを背負うには金がかかるという現実がある。連れ合いの親も高齢でよぼよぼしている。老いても一人でなんでもできるうちはいい。しかし下の世話まで自らできなくなったら、誰がそれを助けてくれるのか。それにも金がかかる。

 

となると自分に軸をおけば、いずれは自分も誰かの世話になることになるということだ。ここが苦しいところだ。

 

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・・・

 

生きていても辛いだけだ。未来が明るいと思える日本人などいるのだろうか。どこを向いても苦しいことばかり。長生きも許されず。生きている以上はボロボロになっても働き続けるしかない。遊んで暮らすことなどもちろんできる術もない。

 

 

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