スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム ジョン・ワッツ
『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』を鑑賞。実は『ファー・フロム・ホーム』を見ていないことに前日気がついて慌てて鑑賞。
昨年の世界公開、今年の日本公開とずっと高い評価をされてきた話題の映画なので、ここでなにかを示すのは愚の骨頂というものだ。どうでもいい。要するにそういう映画だ。いいとかわるいとか、好きとか嫌いとかを無視して、とにかく見てもらうしかない。
いずれにしても、この映画に出てくるドクター・ストレンジを見れば明らかな通り、スパイダーマンがアベンジャーズになった、というのが大きな転換になっている。(映画のセリフとして出てくる)つまりもう何でもできる。『インフィニティ・ウォー』にトム・ホランドが出たりしてもわかる通りなんでもあり。つまるヒーローという務めを一人で背負う必要がなくなったのだ。
この映画でもそのことが語られる。長い歴史を踏まえ、過去のスパイダーマンシリーズを多いにリスペクトし、善と悪の関係とそこに至るまでの苦悩を解き放つことでこの映画は新時代へと進んでゆくのである。これはいいことだ。いいことなんだと思う。
そして映画製作がより大きくリスキーなビジネスになってゆくこともほのめかす。いや、これも悪いことではなく、いいことだ。大きな資本が世界を包み込むように席巻してゆくことを否定はしない。ただ、こうしたリスクは常に崩壊の危険にもさらされている。絶大な力はその反動と背中合わせだ。アベンジャーズもスターウォーズも同じことを示しているではないか。そしていずれもディズニーの資本に支配されている、ということだ。もはやSONYもディズニーの下僕だ。
最後に、子どもたちの感想を人伝えに聞いてみて印象的だったのは「記憶がなくなるという部分がすごく怖かった。」という感想があった。友達とか親とか兄弟とかから、自分の存在が記憶として消される恐怖を子どもたちはさかんに言っていた。なるほど、老いに入る自分は消される側だが、これから長い人生を生きる若い方にとって、存在の消去はどんなに恐ろしいことだろう。
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