アール・ブリュット 特別展
驚くことばかりだ。驚きの連続。例えば、渡邊義紘氏のこの作品。
全部”落ち葉”である。彼は普通のハサミを手に、またたく間にこれらの作品を作り上げる。そして彼は”自閉症”だ。
さらにこの本岡秀則氏のこの作品。
パッと見ただけではまるでわからないのだが、実は全部”電車”である。
見ているうちに涙がこぼれてくる。大げさでなくなぜか涙が・・・
きっと社会の片隅で、虐げられた人々の心がこれらの作品に広がっているのではないか?そう思うととてつもない感動が押し寄せる。
彼らのプロフィールなどを読むと、自閉症や引きこもりなど、様々なビハインドが背景になって、その中から生まれた作品が並ぶのだ。しかも彼らは美術教育をほとんど受けていない。自らの試行錯誤からこれらの作品が生み出されているのだ。そして、なぜこういう作品を描いたのか?という問いに対し、
「書きたかったから。」
と応じる。
じぶんのうんちでトイレに絵を描いた、という原風景を語る民俗学者の赤坂憲雄氏の案内文は真理だ。これらの作品には、自らの才能だけでなく、彼らを認め許し包容した人たちがいるはずだ。そう思うと、こうした作品の背景にある苦しみと喜びと、そこに流れる途方も無い時間と空間が作品から押し寄せてくるように感じた。
絵を描くひとならわかるだろうが、目で見てそれを自分で解釈して形にする、という行為は狂気に似ている。見れば見るほど真実が見えてくる。しかしそれを自分の手で描こうとするとまるで形が変わってくる。キュービズムの理解はここから始まる。芸術の原点には常に真実という障害が立ちはだかる。真実を形に残すという狂気。ゴッホが光を消化できずに散っていった理由がここにある。
アートはね、狂気なんだよ、きっと。
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