モノリス ウィルスとしての記憶
『2001年宇宙の旅』が公開されたのが1968年。自分が初めて銀座のテアトル東京(シネラマ)で鑑賞したのはもっと後、中学生の頃だったと思う。1978年だったか。全く意味がわからなかった。それでもその映像の迫力を堪能した。
いつしかこの映画のタイトルとなった2001年から20年が経過する。
ウィルスの感染拡大で、人は引きこもりあらゆる行動にコンピューターが介在する。もし、1968年に想像した2001年にコンピューターが存在しなかったとしたら・・・?
ダークエイジは中世の疫病が蔓延した時代を指すが、この展示にも参加しているジェームズ・ブライドルの示す”ニュー・ダークエイジ”のインスタレーションの示す人と人以外の種とのコミュニケーションは環境被害や災害に対する暗示にも思える。
『2001年宇宙の旅』に戻ろう。あの映画でAIのHALの言葉「ミスは人間が犯す」は普遍的だ。過ちは常にヒトが起こしてきたことだ。この映画の類人猿が武器(骨)を与えられて他者を殺すことを知ってから、人類は永遠にミスの連続ではないか。その線上に”コロナ”があることに立ち戻らなければ何も解決しない。ダークエイジはまだまだ続くのだ。モノリスが何なのか?を掘り下げない限り希望がない。
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