dalichoko

しょうもない

シン・エヴァンゲリオン劇場版

去年だったか、まだ名古屋に住んでる頃、駅前にでかいモニターが掲げられ、冒頭のシーンを公開した予告編が流されたのは。あれから約1年、前作「Q」から9年か。しかも予定の公開もコロナのおかげでさらに延びて、やっとの公開となると、長年のファンにはたまらないほど待たされたことだろう。

f:id:chokobostallions:20210310171931j:plain

平日の午前中なのに劇場は満席。当日券を手にして来られたお客さんは、ペアでも別々の席に座るほどだ。少なくともMX4Dの劇場に空席は見当たらなかった。

f:id:chokobostallions:20210310172308j:plain

荷物は足元に置けないことが入り口で案内され、近くのコインロッカーに預けることになる。これは正解。この劇場はアトラクションだ。155分の長いアトラクションを楽しむことになる。それはそれはすごい揺れだった。

f:id:chokobostallions:20210310172033j:plain

冒頭のパリを舞台にした使徒との戦闘シーンから椅子はぐらぐら揺れ、照明もチカチカ、風はビュービュー吹き込むアトラクションに否が応でも興奮してしまう。これは映画ではなく映画体験だった。

f:id:chokobostallions:20210310172044j:plain

存在しないはずの綾波レイが前半で、名前のないそっくりさんとして小さなドラマが進む。ここは庵野秀明ワールドで哲学的。時代とともにいろんなドラマが展開した記憶に相変わらずぐずぐずしている碇シンジがぼさっと横たわる。マジでうざい男だ。

f:id:chokobostallions:20210310172100j:plain

その間、マリとアスカは自分の仕事を淡々と進める。この二人のコンセプトはとても強く魅力的だ。彼女たちの戦闘シーンはこの映画の大きな部分を占める。

f:id:chokobostallions:20210310172112j:plain

ネタバレはできないが、まぁとにかく庵野秀明ワールドと、このぐずぐずと流れる時間がここで一気に吐き出されることになる。エヴァンゲリオンという命なき形に人の歴史と感情が交錯し、このシリーズとこのドラマの根底にあるものが最後の最後で明かされる。

f:id:chokobostallions:20210310172124j:plain

とにかく映像と構成が素晴らしく、被写体となる人物を遠近法でほかの人物や物を画面の隅に配置するなど、画面の迫力と美しさを見続けるだけで大いに満足できる作りになっている。

f:id:chokobostallions:20210310172223j:plain

テレビシリーズが始まったのは1995年頃か。この頃はまだエヴァを知らなかった。当時自分は32歳。小さい子供が生まれておたおたしていた頃だ。その後ビデオなどでこのシリーズを一通り追随した頃、2007年の劇場版となる。しかしまだ劇場でこれを鑑賞していない。当時44歳。仕事仕事仕事の毎日だったな。

f:id:chokobostallions:20210310172239j:plain

長くシリーズを追うことは即ち、自分の歴史と重ねることだ。子供も大きくなって、子供と一緒にこのシリーズを追うことになるとは夢にも思わなかった。エヴァ哲学の中にどんどん引き込まれる自分を重ねる映画でもあった。
(=^・^=)
 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村

にほんブログ村 グルメブログ 日本全国食べ歩きへ
にほんブログ村

PVアクセスランキング にほんブログ村
 

ブログランキング・にほんブログ村へ

 
 ★