動物農場 G・オーウェル
今週のお題「575」 独裁者 いつの間にやら 支持してた
まずは宮崎駿監督のインタビューをどうぞ。 → ”いま「動物農場」を公開する意味”
1954年に作られた映画がリバイバルされた時のインタビューだ。
ジョージ・オーウェルというと『1984』の作者という知識程度しかなくて、デビッド・ボウイの楽曲や映画にもなった原作者とい印象しかなく、あまり近づいてこなかった。しかし先ごろたまたま見た『ワンダーウーマン1984』と『罪の声』という映画が1984年を題材とする映画を見て、オーウェルを読もうという気になった。そのときたまた本屋で目に入ったのが、同じオーウェルの『動物農場』だった。今年の天声人語でも紹介されたらしい。
人が運営する牧場をブタを中心とする動物が自ら運営する社会(農場)へと奪還するため人を追い出してしまう、という始まりの寓話はとても現実的だ。最初のほうに人を非難するセリフに「人は唯一生産せずに消費する生き物だ!」という宣言にドキッとする。
これはソビエト連邦時代のロシアを皮肉に描いたもので、人から政権を奪取したときのリーダーであるメイジャーがレーニンで、その部下たち、ナポレオンとスノーボールがスターリンとトロツキーに置き換えられるらしい。今はもう死語になってしまったが、ソビエト時代の共産主義社会を批判するには十分な内容になっている。
動物自らが農場を運営することで、人からの支配がなくなり搾取のない共産社会ができると思ったら、牛は乳搾りができなくなり、農具が使えなくなったり様々な支障がでてきてしまう。そのうち人がなんどかこの農場を攻撃してくるが、動物たちはなんとか防衛する。このあたりから自主独立国家のような農場が、自分たちの作る共産社会だけでなく、防衛や近所の農場との取引きが必要となってくることがわかってくる。そして支配者の抗争。2人の指導者が片方の指導者を追放し、いつしかプロパガンダによって事実と異なる教育を受けて独裁国家へと変化してゆく。これは世界の歴史、あるいは国家という歴史を示すのを子供にもわかりやすく示す内容だ。
この小説には様々なメッセージが込められているのだが、特に「報道の自由」について書かれたあとがきの部分に印象的な言葉を見つける。それはヴェルテールの言葉を引用して、
”私は君の言っていることが大嫌いだ。
でも君が言う権利は、命を賭けて守ろう。”
いま世界が大いに分断するきっかけはここにあるようだ。民主主義を守るためには全体主義の手法を用いるしかない、という自己矛盾は資本主義だろうが社会主義だろうが同じなのだ。これは当時の共産主義社会を批判したものではなく、政権が長期化することで常に民主主義は失われてゆくものだ、ということを言わんとしてるのではなかろうか。
そこで冒頭の575に戻る。我々はつねに”疑い”をもってその政権を見つめねばならない。いつも支配者は独裁的なのだから。
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