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しょうもない

メゾン・エ・オブジェ パリ点 デザイン・ダイアローグ

高島屋日本橋展で催されている『メゾン・エ・オブジェ パリ展』に向かう。

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デザイン・ダイアローグとは、その名のとおりデザインとの対話だ。

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日常の身の回りにある家具は何も語らないし、語りかけることもしない。しかし、そのファニチャーをデザインしたつくり手の主張やメッセージはどこかに隠されている。建築や芸術も同じだ。そしてそれらにはもともとなんの価値もない。価値のほとんどは本来あとから生まれるものだ。

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例えばこの椅子と電気スタンド。デザイン性としては確かに奇抜なイメージだ。

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しかしよく目を凝らして見ると、電気スタンドの支柱が拳銃になっている。作者のフィリップ・スタルクはフランス人で、実は日本にも馴染みが深い。浅草近くの吾妻橋にあるアサヒビールホールのデザインもこの人だ。あの屋根の上にあるう◯こは彼がデザインしたものらしい。彼の作品の示すデザインにも何かしらの主張がある。そしてその主張はある意味で人の命を脅かすほど緊迫するものだ。


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この藍色にデザインされているものもテーブルとして示されなければ物質としての価値はない。しかしひとたびこのテーブルを目の前にコーヒーや紅茶でも飲んだらどうなるだろう。その藍色の海の向こうに太古の世界が広がり、自らのDNAを刺激するのではなかろうか。

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家具だけでなく、花瓶やカバンなども同じ。その持ち物のデザインは何も語らない。しかしひとたびつくり手がこのように茶色い皮のカバンと人間、そして肌の色を認識させるだけで価値は大いに変化する。この場合はもっと深く重たくて、茶色い皮が人の肌と重ね合わさると、自分と他者との隔たりや違い、あるいは人種や宗教や格差までも連想させるというすごい仕組みである。

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こうして考えてみると思い起こすのは、昨年乃木坂の国立新美術館で見た『ファッション・イン・ジャパン』だ。なんと画期的な展示だっただろう。あの展示とこの展示がじんわりと同じ線上になぞられているように感じさせる。あのときの記事で「ファッションは死んだ」と書いたが、広義の意味で物質は常に価値を持たない。価値のないものがデザインを通して価値を肥大化させるという現実と、その価値が時間とともに膨らんだり萎んだりする、という流れ(歴史)に魅せられる。
 
 

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