dalichoko

しょうもない

It’s My Life

近くの公民館で3回目の竹原ピストルさんのライブを鑑賞。

毎回ギター1本で演出するライブを目の当たりにすると見る側がそぎ落とされる気持ちになる。

数万人の観客を集めて大音量で一体感を醸成するライブがトレンドだとすると、それはポピュリズムへの迎合だ。ことによるとマインド・コントロールされているかもしれない。

しかし竹原ピストルさんのライブは一人一人に語り掛ける。そして一人一人に願いを届けるようなライブである。

 

この日の公民館は後部座席に空席があった。しかしどの観客も竹原ピストルさんを応援する。このライブはピストルさんを応援する者と、応援者への応援を返す連続なのだ。前回のライブではドラムとベースを加え三人のライブだったが、今回は再び一人で演出する。これが It's My Life という意味だと受け止めた。

 

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一人のライブとはいえ、照明などの芸術性は年々進化している。バックのピストルさんの顔イラストに、後半では逆からライトを照らしてこの顔を影の胴体がつながるような工夫もされていた。

セットリストは会場ごとに変えているため全てを記憶できないが、オープニングの『オールド・ルーキー』から泣かせる曲、そして厳しいメッセージで圧倒する。

中盤では吉田拓郎の『落陽』と中島みゆきの『ファイト!』が印象的だ。このふたつの曲はそれぞれの時代を背景にしているが、特に『ファイト!』の歌詞をあらためて吟味する。♪あたし中卒やっからね~♪から始まる楽曲は

 

♪階段で転がり落ちた子供とつき飛ばした女の薄笑い♪

 

これを目撃して何もしなかった自分に『ファイト!』である。

『落陽』もそうなのだが、ピストルさんの曲にも出てくる人物はある意味ネガティブな存在だ。『よー、そこの若いの』もそうだが、ピストルさんはそのネガティブな人物にメッセージを贈る。そして♪自分も含めた誰の言うことも聞くなよ♪と諭す。または『10カウント』では♪”人生勝ち負けなんかない”という人の人生に心を動かされたことはない”と断じる。

ピストルさんのメッセージはその激しい姿勢や歌声で否定的だ。

それなのに我々は彼の言葉と謙虚な姿勢に心を動かされる。それは誰にでもあるネガティブな部分。見てみぬふりをしてきた自分の傷をえぐられていることに気づかされるのである。

ラカンの今の自分が『オールドルーキー』をしょっぱなから聞かされるのはつらい。

 

♪積みあげたもので勝負しても勝てねえよ

  積み上げてきたものと勝負しなきゃ勝てねえよ♪

 

という言葉に、自分の言葉を失う。

 

 

 

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不安と期待


色々取りざたされている『スカイウォーカーの夜明け』である。

概ね評価は悪い。

 

このシリーズの呪縛、それは『帝国の逆襲』にある。今回もし最新作が不評だとすると、”三部作”という呪縛の源となったこの映画が、すべての原因とも読みとれる。くどくて大げさだが・・・

 

このシリーズで最も評価が高い名匠アービン・カーシュナーが監督した『帝国の逆襲』だが、ここでルークの父親がダース・ベイダー(アナキン)である、という衝撃的な告白によりこの物語は大きく転換したのだ。親が息子の腕をちょん切り、悪の道へといざなおうとする。

 

ジョージ・ルーカスは『ファントム・メナス』以降のEP1~EP4までを、自らメガホンを取って終結させようとした。(噂によればこのシリーズはルーカスの元妻への嫉妬心が作り出したそうだ。)これは終わりが見えた旅だった。アナキンがダース・ベイダーになる、という結論が明らかなことを前提の物語なので、なんの矛盾もズレもなく、概ね期待に応じたと言えるであろう。

 

しかし、

 

EP7『フォースの覚醒』から始まる物語は、我々40年前から追いかける者も、新たにファンになった若い方も、”行く先が見えない”という不安と期待が支えてきたmのだ。もしかすると『帝国の逆襲』を上回る驚きと衝撃が待ち構えているのではないかと思った方も多かろう。

 

ということで、3部作という、よくよく考えると欲張りなご馳走を狙ったディズニーが、この仕組みの限界を露呈したことが”がっかり”の源であった。というオチなのだが、シリーズ最高傑作が呼び起こした”不安と期待”という仕組みは、映画などドラマの基礎でもあることを知らしめてくれる。

 

最後に、もしこのシリーズを続けたいのなら、007や寅さんみたいに1話完結にすることをお勧めする。僭越ですけどね。

(=^・^=)

 

古いSW系の記事もお時間があればお読みくださいませ。

スター・ウォーズ学

フォースの覚醒

Darth Vader

最後のジェダイ (最後のジェダイThe Last Jedi

この世界の片隅に(C・フィッシャーさん亡くなる)

ローグ・ワン

ハン・ソロ

スカイウォーカーの夜明け

ナナコお着換え

がっかり

 

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貧困が世界を覆う

2019年はなんとなく暗い映画が多かった。だから寅さんのような映画を見ると心からホッとする。しかしそれはある意味で傲慢で、特に若い方の未来は暗く閉ざされているようだ。

去年のはじめにみた『家へ帰ろう』という映画は、戦争のトラウマを抱える老人のロードムービーは、現代社会のゆがみをうまく捉えていた。そして個人的に高く評価している『バーニング 劇場版』やきわめつけは『ジョーカー』などは貧困の先に暴動や戦争が起こりうることを描いている。

町山智浩さんが『天気の子』も同じだと言っている。

その文脈では『ワイルドライフ』や『存在のない子供たち』にも同じことが言えるのだ。

 

言うまでもなく、世界中100%が貧困なのではない。

貧困という言葉に吸い寄せられて貧困だ、と勝手に思っている日本人も含めて、ほとんどの貧困層と、極めてわずかな富裕層の独占によって世界はバランスしている。

バランスが崩壊するときに共産主義がやってくる、という説明はとても分かりやすいが、それは近い未来の現実となるだろう。

映画の世界でこのことを露骨に説明すると市場に乗らないので誰も言わないが、実はリベラルな映画界はこのことを最も知っている。

山田洋次監督が共産党支持者であることは言うまでもない。

貧困はいずれ滅びるか?というと永遠にそうはならない。飢えに苦しむ人々にどんなに施しをしてもなくならない。

(=^・^=)

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今年を振り返ると寅さんだった

 

まさかと思うが、車寅次郎は大嫌いだった。

娘や若い方に聞くと、同じことを言う。「なんか寅さん苦手~」みたいな。

結局年内に「男はつらいよ」を全作鑑賞には至らなかった。そこに悔いはないく、また繰り返しこのシリーズを見直すことを予感させるほど素晴らしい作品の連続である。特に吉永小百合さんがマドンナの『寅次郎恋やつれ』は、一般の評価以上に素晴らしい作品だったと思う。

 

さて、今年見た映画を振り返ると分断と貧困とその格差をにじませる作品が多く、未来の担うはずの虐げられた子供にまつわる作品が目立った。その意味では大げさにいうと世界の価値観が変化する瞬間を目の当たりにしたような気がする。

 

そんな中、個人的には以下の映画が印象的だった。(順不同)

 

メリー・ポピンズ・リターンズ

バーニング

僕たちは希望という名の列車に乗った 

トイ・ストーリー4

存在のない子供たち

イエスタデイ

ジョーカー(2019)

ワイルドライフ

 

どれも素晴らしい映画だが、『バーニング』と『ワイルドライフ』でメラメラと燃え上がる炎の音が忘れられない。あのイメージはかつて感じたことのない不安を見る側にもたらす。特に『バーニング』を見て、韓国映画が日本のはるか先を進んでいることを確信する。村上春樹の原作とは別の解釈を成立させる。

 

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メリー・ポピンズ・リターンズ』も素晴らしかった。『メリー・ポピンズ』の残した意味と『ウォルト・ディズニーの約束』で果たした原作者の意思。それはバンクス=銀行家の欲望を如実に示すことで、世界経済を一言で説明できる抽象性が見事だと思う。ディズニーの一連の実写作品はほぼ成功していたと思うが、この映画は中でも格段の高い価値があると思う。

 

 

がっかり

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40年かけたシリーズの最後がこれか・・・

心からがっかりした。なんの感動もない。一瞬ウルっときたのはオープニングだけ。

それは自分に対する気持ちだろう。よくぞ42年も追いかけたと。

しかし作品はボロボロ。タイトルの時点で結末は読めているし、展開に驚きはない。

 

ではこのシリーズが残した価値はないのか?というとそういうわけではない。42年の総てがムダというわけではない。

 

1970年代から始まるシリーズは、当時暗い映画が多かったアメリカ映画の印象を一掃したという価値がある。ニューシネマ、フラワームーブメントなど、アメリカという国の矛盾とルーカスと彼の父親像が対比している。特に『新たなる希望』は明るく我々を興奮させた。あのエンディングでレイアを中心左右にルークとハン・ソロが並ぶあのシーンが懐かしい。

 

しかしその後この映画は次第に暗い家族の諍いを描くドラマに変化してゆく。もともとルーカスはこのドラマを家族と倫理の物語にするつもりだったようで、三部作の最後でダース・ベイダーが死に、ジェダイが残るといエンディングは正しい。

 

より暗い映画に陥ってゆくのは『ファントム・メナス』より後だ。ダース・ベイダーが降臨するまでを語るドラマは、嫉妬と妬みが銀河に影響するという、今思うと不思議な展開だ。アナキンの心の変化をつぶさに追いかけるドラマは、最後に師匠であるオビ・ワンとの壮絶な戦いで終わる。

 

そして本作。

 

はっきり言えば愚作だ。決してエイブラハムの責任ではないのだが、今考えるとルーカスの手を離れた時点でこの映画の破綻は約束されていたとみるべきかもしれない。ディズニー映画というバックボーンにより、我々は表面的にこれらの映画に気持ちを揺さぶられるのだが、それはマーケティングによるものであって、作者が真に描きたいという欲求により作られたものではない。要するに客寄せのため、稼ぐことだけを目指した映画だ。

 

この映画を単体で楽しむことができるか、というとそれもまた物足りない。

 

この待ち焦がれた40年をムダにしたとは思わないが、この映画はひどい。ひどすぎる。

(=^・^=)

  

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Live From The Red Carpet Of Star Wars: The Rise of Skywalker

Capra キャプラ・キャプラ・キャプラ!

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年の瀬になるとどうしても見ておきたい映画が何本かある。

その中で「素晴らしき哉、人生!」It's a Wonderful Lifeは格別だ。

 

ウィキペディアを読むと、なんとこの映画が当時(1946年)大コケしたと書いてある。彼の人生を賭けて映画会社を創設し、満を持してリリースしたこの映画が興行的に失敗したとは信じがたい。

 

映画を見ればわかる。

 

この映画にはほとんど音楽が流れてこない。シーンの必然で蓄音機から流れる音楽はあるが、この映画の音楽としてはエンディングのあたりだけだ。ほとんどない。昨今のハリウッド映画はうるさい。映画で感情表現するところをわざわざ音楽で盛り上げる。映画そのものに魅力があれば、そんな必要はないのだ。

 

何度か見ると気づくシーンもある。天使のクラレンスとジョージ・ベイリーが橋のたもとで暖を取りながら会話するシーン。ジョージがこの世に存在しなくなる不思議なシーン。あのシーンでカメラをよぎる洗濯物を干すロープ。あのロープこそ天国と現実の境になっているのだ!驚き!!

 

 

 

結末を知ってこの映画を見ると、また感動が押し寄せる。今回はテレビ鑑賞だったが、映画が始まった瞬間から涙が止まらない。ジョージ・ベイリーという献身的な人物を彩る様々なドラマ。メアリーとのキスシーンなども美しい。そしてなんとなんと、最後の大団円。

 

彼が街に施してきた自己犠牲が最後に跳ね返ってくる瞬間、もう涙で画面を見ることができない。(泣く)

 

こんなことあるわけないだろう。

 

という見方もできる。できすぎな映画といえばそうかもしれない。しかし、救いのない将来不安を抱える日々に、我々はジョージの心優しい姿に深く感動するのである。

 

フランク・キャプラ

 

彼こそがこの映画の主人公のようなものだ。極貧のイタリア移民。映画の世界で成功し、晩年はどん底を味わうこともあっただろう。そんな彼の人生も、この映画に重なる。

 

キャプラ・キャプラ・キャプラ!嗚呼キャプラ!

 

 

壁がある、だから行く

ラグビーワールドカップ開催中、極めて印象に残るコマーシャルが流れて、こちらもラグビーに劣らず感動した。

 

レフェリーのナイジェル・オーウェンさんが出ているエミレーツのCMは笑える。

そして三菱グループ高畑充希さんが出てるCMもユニーク。

古くからラグビーを見ている者にとっては三井住友銀行のCMもいい。懐かしい選手が次の世代へパスをしてゆくシーンは涙する。

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しかし何より感動的なのがクボタのCMだ。Try for Dreams

インドかとこかの田舎でラグビーで戯れる子供たち。主人公の少年の母親が具合悪くなったため、少年は水運びをするため、ほかの子供たちとラグビーができない。心配になった仲間が少年の家に手伝いに来てくれる。

これだけで終わらない。

大人になった少年は、この田舎に水道が供給される仕事で成功し、再び仲間とラグビーをして終わる、という物語。よくこの短い時間にこれだけの物語を詰め込めるものだ。

ラグビーというボールをつなぐスポーツとこの子供たちの友情を重ねている。

 

クボタの広告では、かつて新聞にウェールズの水処理技術の広告が印象的だった。

新聞一面にこの写真が掲載され、クボタの地道な努力が小さく書かれている。センスがいい。

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クボタというとどうしてもアスベスト訴訟の印象が強いが、こうしたビハインドを企業CMで払拭しようと努力している姿勢を感じる。このような努力を素直に素晴らしいことと思っている。

 

目を背けたくなるような下品はCMも多いが、そんな中で時々みかけるこのようなCMを見るとホッとする。

 

東京在住の頃は、なんといっても東京ガス昔の一連のCMに感動したものだ。

仕事でも取り引きがあり、イベントやショールームなどの施設はとても充実している。

CMの物語性も見事である。今この下品な街で暮らすと、あのCMを懐かしく感じる。

(=^・^=)

 

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