dalichoko

しょうもない

コーダ あいのうた シアン・ヘダー

え?
これあのフランス映画のリメイクなの?『エール!』の??見たはずなのに覚えていない。記録を確認すると2016年にこの映画を見ているが、全く覚えていなかった。しかし今回リメイクされた『コーダ あいのうた』を鑑賞後再度『エール!』を見直したら全く違う映画の印象だった。


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ということで、今回はこの予告編にすべてが詰められてる。従ってドラマの筋書きも何もここで補足することはするまい。とにかく美しくて愛らしくて感動的な家族のお話である。感動で何度もこみ上げてくる映画なのに変わりはない。


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しかし細かい点はともかく、大きく違う点をひとつだけ指摘すると、フランス版では最後に歌う楽曲が自らの旅立ちを歌うものであるのに対し、アメリカ版はジョニ・ミッチェルをぶつけてきている。「青春の光と影」”From Both Side,Now"(ジョニ・ミッチェルに言及することはここで避ける。長くなりすぎるから。)

もうこれにノックアウト。フランス版の楽曲にももちろん意味はある。聾唖者の家族から逃げるのではなく旅立ちなのだ、という意思を伝える映画。まさに家族の物語として感動を伝えるフランス版と決定的に違う部分だ。このタイトルBoth Sideこそこの映画の言わんとすることだと強く感じた。このSideとは映画では聾唖者と健常者ということになるが、世代間格差や人種、国境などのことを普遍的に感じさせる美しさと強さ。強さとはつまり主人公の決意だろう。

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歌詞の中で「I really don’t know life at all」(本当は人生のことなんか全然知らないもの)とはあまりにも謙虚だ。実はこの映画の後に、クリント・イーストウッドの『クライ・マッチョ』を鑑賞したのだが、あの映画にも同じ思想が反映されている。老いた主人公がこういう。
「若い頃はまるですべての答えを知ってる気になるが、老いとともに無知な自分を知る。気づいたときは手遅れなんだ。
この若き主人公が様々な手挟みの果てに自分の才能を生かす決意をすることの美しさをこの映画は強く印象づける。そしてフランス版では主人公が家族と硬い包容を交わして走り去ってゆくシーンで終わる。それはアメリカ版も同じように演出されている。

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しかし、アメリカ版ではこの後に決定的なワンシーンを付け加えて終えるのである。

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思えばフランス版でもアメリカ版でも共通の感動的なシーンがある。微妙に演出は違うが、音が全く消えるシーン。実はフランス版はフェイドアウトアメリカ版は突然バサッと音が消える。この瞬間は劇場でしか味わえないかもしれない。たまたまコロナ禍で控えめな客席に突如として訪れる静寂。音楽を中心とする映画だけに、この無音状態の恐ろしさを突きつけられる。

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日常から取り残されたような彼ら聾唖者にとって、娘がどれだけ素晴らしい声、素晴らしい才能があるかわからない。そんな孤立感を一瞬にして演出する。健常者に突きつける不自由さ。周囲を見回すと大勢涙を流して娘らが歌う曲に感動している、それを見てようやく娘の実力が伝わるのだ。
これはフランス版と同じような演出をしながら少しだけ強く印象付けるアメリカ版に「表現の不自由」や「語りの複数性」というこのブログでも盛んに示されてきたキーワードが滲むように折り重なる思いがする。言葉に限らず、世の中が複雑化するにつけ人から人に伝わる意思は障害が多くなる。SNSやメディアの横暴によって、本来の意思は捻じ曲げられ、特に日本においては国家が全ての表現を支配するような国に陥ってしまった。そのことを思えばなおさら、あのワンシーンに重くのしかかる感動を忘れることはできない。
 
 

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