バンクシーって誰? The Walled Off Hotel
とにかく朝から大盛況で、大勢のお客さんが集まっていた。
こんな作品もある。
バンクシーのこうした反政府的な姿勢にシンパシーを感じているなら正常だ。そしてなんといっても、この展示の中でも最大級といえるインスタレーションもまた刺激的だ。
イスラエルの分断された壁の目の前にホテルを作るという作品だ。このホテルは実際に宿泊することができるらしい。ホテルの前には壁しかない。その壁にバンクシーが壁画を描いて息吹を与えるという作品だ。ファンにはここが聖地となっているらしい。
イスラエルの分断された壁の目の前にホテルを作るという作品だ。このホテルは実際に宿泊することができるらしい。ホテルの前には壁しかない。その壁にバンクシーが壁画を描いて息吹を与えるという作品だ。ファンにはここが聖地となっているらしい。
バンクシーがこのように分断された社会に絵を描くという行為は、芸術と社会と全く縁もゆかりもないものの可能性を高く意識させる。このブログでも記事にした『ポスト資本主義とアート』にも出てくるドイツのアーチスト、ヨーゼフ・ボイスの意思がバンクシーにも少なからず影響しているように感じさせる。
合法と非合法の狭間でアーチストは社会に対して何かを伝えようとする。バンクシーの一連の作品にはその辛辣な姿勢が貫かれている。
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アーヤと魔女
映画館でジブリを見るのは、なんと『風立ちぬ』以来です。大きなスクリーンにトトロのが現れると、どこか胸がときめく。でも宮崎駿さんの映画以外は、映画館で見ないという自分の歴史があって、今回はそれを打破することになった。
もともとNHKで放映された映画の劇場版なんですね。知らなかった。冒頭はカーチェスシーンから始まる。以外な始まりだが、この不思議なシーンがラストにつながっている。ここでオートバイで疾走するのはアーヤの母親だ。彼女がアーヤを孤児院に預けるというのが前半の物語。
アーヤは大きくなり、マンドレークとベラ・ヤーガという二人に連れられて、ひたすらこの家の小間使いをさせられる。仕事は魔法に必要な薬を作ること。
アーヤは必死に働いて、自分も魔法が使えるようになりたいと懇願する。しかしなかなか彼らはアーヤに魔法を教えない。その関係というかアーヤの苦労が延々と続く。ここは全く悲壮感がない。むしろ平凡(?)な魔法の家の生活が延々と描かれる。しかし最後に、この二人と自分を捨て置いた母親との関係が示される。
とにかく軽快で愉快な映画だ。
リズム感のいい映画。
とにかく軽快で愉快な映画だ。
リズム感のいい映画。
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バンクシーって誰? バンクシー・ダズ・ニューヨーク
あまりにも刺激的だったので『バンクシー・ダズ・ニューヨーク』というドキュメンタリーを見てみた。
これもまたニューヨークの作品だが、彼がニューヨークに現れて、次々と作品をあちこちに配置することで、町は大混乱となってゆく。
彼が想定したことかどうかは別にして、ニューヨークは彼の作品を巡って混迷してゆく。冒頭のシーンはバンクシーの作品を盗もうとしたファンが逮捕され作品も押収されてゆく暴力的なシーンだ。奪った作品を奪おうとする人も混ざってもみ合いが始まる。もともとニューヨークは壁画アートの町とも言える。そこにバンクシーが降り立って、大混乱の後、作品は塗りつぶされてゆく。これは主張が消されたこと、言論や意見が弾圧されたことを意味し、政治の力がバンクシーを取り押さえて秩序を取り戻そうとする動きを示している。
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彼岸花が咲く島 李琴峰 第165回芥川賞
こちらは断然面白かった。すごく面白かった。
どう説明すればいいのかわからないが、とにかく素晴らしい作品だった。
記憶を失った少女が彼岸花が咲き乱れる島に流されているシーンから始まります。この小説は極めて映像的です。映画にすることも可能かもしれない。もしそうだとしたら、この島はきっと沖縄が舞台になるだろう。そうだ、『神々の深き欲望』や『夏の妹』が描かれた島。しかし小説では、どこの島かは語られない。
流された少女に名前はない。彼女が最初に出会游娜(ヨナ)という同じ年頃の少女。そしてもうひとり拓慈(タクジ)という少年の三人がドラマをリードする。
記憶のない少女は宇実(ウミ)と名付けられ、島のお祭りや言葉に馴染んでゆく。この不思議な言葉の行き来が実に新鮮だ。このドラマには言葉が大きな意味を持つ。
この島を司るのはノロという女性たちで、最も権威のなる大ノロという老女とのやりとりでこの三人の少女と少年の運命が少しずつ変わってゆく。この島の歴史、この島が抱えた過去。そうした背景がドラマに大きな影響をもたらしている。
なぜこの島の指導者が女性なのか?
二人の少女もノロとなるために学ぶ。でも男のタクジにはその資格がない。その秘密が最後に明かされるのだが、ここはとても深い意味がある。敢えて例えるならそれは”ニホン”だ。この世界から取り残されたニホンの現状を痛烈に批判する。しかしドラマはそれを直接的に語ることはしない。柔らかく優しく描かれていく。
著者の李琴峰さんはすごい。31歳の台湾人。早稲田大学を卒業されている。天才だと思う。彼女は受賞のインタビューで「私をカテゴライズしないで」と主張しているように、彼女には本能的に現状を維持する思考がないのではないかと思う。どんどん変化してどんどん進化する。女性首相の台湾と、あいも変わらずジジイが首相のある国を対比させつつ、その中間にあるような沖縄などをイメージさせ、男尊女卑社会の恐ろしさを示しているのだ。頷くしかない。
彼女には期待したい。そしてまた彼女の語り口で描く世界を覗きたいと思わる小説だった。
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孤狼の血 LEVEL2
『孤狼の血 LEVEL2』を劇場鑑賞しました。
そうしましたら、なんと記念グッズとしてカードがもらえるのね。びっくりですよもう。びっくりすることばかり。
わたくし、、、正直言いますとヤクザ映画大っきらいなのです。『仁義なき戦い』シリーズもなにもかも大嫌い。北野武監督の一連作品も正直言うと好きじゃないんです。目を背けたくなるような血しぶき。指切ったり銃をぶっ放したり、暴力シーンの連続で、なにがなんだかわからない。そんなヤクザ映画がどうも好きになれません。みなさんはどうでしょうか。
前作、『孤狼の血』では、ヤクザから金をもらいつつ、組と組の抗争を控えさせる。ある意味、この世界のバランスをもたらす存在として、役所広司さん演じる大上(狼)がいたんですけど、今回はあの狼が松坂桃李さん演じる日岡に乗り移るんですね。松坂桃李さん、うまいですよね。前作では新米刑事でしたけど、今回は狼でした。
そしてこのバランスを崩そうとする存在として今回は鈴木亮平さん演じる上林という刑務所帰りのこれ以上ないというほど残虐な男が軸となります。この映画は終始この上林を中心に描かれます。彼もまた亡霊のような存在。この亡霊のような二人が最後に長く熱く痛々しい戦いを繰り広げます。これはすごいシーンでしたね。
あとはもう映画を見て、その迫力を堪能していただくしかありませんが、このブログにも昔記事を書きましたが、ヤクザという存在は何なのか?を考えさせられるんですよね。ヤクザはもともと『貧困の受け入れ先』だった。そのジレンマは、西川美和監督の『すばらしき世界』でも描かれてましたね。わたくしの大嫌いなヤクザの存在する理由と価値。
では、問題は何か?本当の悪はいったい誰か?ということをこのシリーズは我々に突きつけます。正義とは何か?
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バンクシーって誰? 立体的な臨場感
OLD シャマラン
シャマランの新作を鑑賞。その名も『OLD』
映画が始まる前、本人が出てきて本人の言葉で劇場鑑賞についての感謝の言葉などが述べられます。そして本人がこの映画に出てきます。こうしたいろいろな伏線が映画を最後まで誘います。
予告編で映画はほとんど語り尽くされるんですが、実際の物語として面白いのは、このビーチに集められた人々にある共通する内面が秘められているということなんですね。これが最後に効いてきます。
ビーチで全裸になって泳ぐ女性が死体となって、その数時間後白骨化していたり、
ビーチにきたときはまだ幼かった子供が妊娠したり、それはまあ目まぐるしいシーンの連続で息つく暇もありません。何より、ここで展開するOLDにどんな目的があるのか?が最後に明かされるまでわかりません。
その答えには、もしかするとパンデミックのような社会になってウィルスワクチンを投与することになる社会への警鐘とも受け取ることができます。ぞっとするお話です。
この家族の娘さんをトーマサイン・マッケンジーが演じていますが、見覚えがあるなと思ったら彼女は『ジョジョラ・ビット』に出てましたね。主人公の少年を最後にビンタして、ボウイの”ヒーローズ”を歌うのね。いいシーンだったね。あの映画の彼女も囲われの身でしたが、今回もビーチに囲われる少女でした。あとね、この映画に『ミズーリ・ブレイク』の話題が出てくるんですよ。理由はよくわかりませんが、おそらくそうだと思います。
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