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しょうもない

ドストエフスキー 黒い言葉

亀山郁夫氏の著書に触れる。

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なぜこの本に接することにしたのか記憶がないのだが、結論から言うと苦しかった。かつてドストエフスキーを何冊か読んだ苦しさとは別の苦しさ。ロシア文学に対峙するために、彼の国の歴史なども踏まえて理解する必要があったことをあらためて認識することになる。

亀山氏はこの本を現代社会に照らそうとしている。序文の印象な言葉として「AIとコロナの二重支配」というのがあるが、この苦しみをドストエフスキーの行きた時代になぞらえて、現代の貧困や格差は資本主義社会の矛盾などをえぐるような話に展開してゆく。しかし何しろ難解で、ベーシックな知識がないと辛い。

ドストエフスキーが『賭博者』の中で主人公に「金があればあなたに対して別人になれるのです。」と告白させるように、ドストエフスキーもまた賭博にのめりこみ借金に追われる人生であったことが解説される。彼の偉大な作品群が、安定した精神状態ではなく、むしろ追い込まれた苦しみの中から生まれたことを理解する。そしてその苦しみ、苦痛を愛するようになるというマゾヒズムが著作にも示されるという。例えば『地下室の記録』などがそれだ。

しかしドストエフスキーの作品にはまた、暴君のように愛すべき人物も描かれてゆく。同じ『地下室の記録』にそのことが書かれていて、愛することを精神的に優位に立つような支配欲に置き換えるシーンがある。

ここでなぜドストエフスキーを読もうと思ったか記憶が蘇る。

ブレッソンの『やさしい女』だ。あの映画を見て、いまいちどドストエフスキーについて学ぼうと思ったことを思い出す。

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あの切れ味鋭い美しい映画の意味。金と愛が衝突するような苦しみがあの映画を支配していた。それが明らかにドストエフスキーの原作に起因するものであり、それをブレッソンが忠実に映像化したことを認識するのだ。

亀山郁夫氏のこの著書には「極度の欲求と大きな反作用」という言葉で説明されているが、誰かを愛し愛し尽くすことの反作用、映画では嫉妬として描かれる現象を、この著書ではドストエフスキーの言わんとする思想に重ね合わせている。ドストエフスキーは彼の父親が殺され、自らも死刑判決を下された苦しい経験から、彼の作品群にその凄まじい表現に至ることがよくわかる。

人は吸う息によって被害者となり、吐く息によって加害者となる 

これはまさに現代のコロナ(パンデミック)を示唆し、SDGsに例えられる地球環境へも波及する予言となっている。ドストエフスキーの千眼だ。

当時のロシアが社会主義に向かう過程で、お互いが監視しあう密告社会は、資本主義が進化した現代もまた同じだろう。社会主義の失敗を置き去りにして資本主義社会にユートピアを求め続けた結果が、現代のデストピアへ結びついた。これはオーウェルの『1984』やブラッドベリの『華氏451度』へも大いに影響しているように思われる。

 

なんということだろう。このドストエフスキーのあまりにも普遍的な世界。彼の作品の多くが時代を超えて読みつがれる理由がおぼろげながら見えてくる。特に『カラマーゾフの兄弟』について言及される多くの解説は極めて蘊蓄のある内容だ。

 

 

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