dalichoko

しょうもない

あのこは貴族

あのこは貴族浦和駅前のパルコにある映画館で鑑賞。

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東京に住んでいると、この映画の背景に写る多くの東京という底しれぬ得体のしれない街のあちこちに目が向いてしまう。これは東京の映画だ。東京という巨大な街で巡り合う(邂逅)複雑な人間関係を、階級という見えない壁を二人の人物に抽象化して示すものだ。

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冒頭のシーンからもやもやする。タクシーに乗りガラス越しに東京の街並みを憂鬱に眺める若い女性の華子(門脇麦)。彼女はこの日、家族に彼氏を紹介するために高級ホテルに向かうが肝心の彼氏はいない。この日に別れてきたらしい。彼女は貴族なのである。

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彼女がようやく巡り会えた男性(高良健吾)は申し分のない生まれで弁護士である。そして彼には学生の頃から付き合っている美紀(水原希子)というセフレがいる。美紀は有名大学に合格するが、親が失業して学費が工面できず退学し、夜の世界に足を踏み入れる。

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この貴族の女性と底辺で暮らす女性の二人が重なってゆく、というお話だ。タイトルにある通り、貴族の女性である華子を中心に描かれるドラマだが、貴族社会にも大きな格差があることがわかってくる。これはまぁイギリスの王室を描いたドラマには及ばないものの、下々の我々にはわからない世界なのだろう。

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申し分のない家に嫁いだ華子だが、実は自由のない堅苦しい世界に彼女のストレスは膨らんでゆく。これは少し前に見た『Swallow スワロウ』や、韓国で公開された『82年生まれ、キム・ジヨン』、『はちどり』などと同じ題材を扱っているものと思われる。何もかも手に入ることはむしろ自由を手放すことという矛盾。そしてどんなに努力しても貴族社会には入り込む余地のない貧困層の現実は、むしろ何をやっても許される、という意味で自由だ。

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日本ではあまり扱われることがない、東京の見えない貴族社会の一部を、この映画は掘り下げようとしているのではないか。
 
門脇麦さんの演技は素晴らしい。彼女は沿線のCMで毎日のように見かけている。『止められるか、俺たちを』などクオリティの高い映画で体当たりの演技をしている彼女が、一変して貴族を演じるというのも悪くない。
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Dick Johnson Is Dead 

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いつものように町山智浩さんの推薦です。(町山智浩『ディック・ジョンソンの死』を語る
 
まずディック・ジョンソンについて紹介しよう。彼はシアトルで精神科医を営んでいる老人だ。足の指がなく、妻は7年前に亡くなった。認知症だった。彼の娘は映画監督で、そんな父親(ディック・ジョンソン)が老いてゆくところを丁寧に撮影してゆく、というドキュメンタリー。

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面白いのは、父親のディックが死ぬケースをいろんな状況で想像すること。物が空から落ちてきたり、心臓発作を起こしたり、建築現場の作業員にぶつけられて血まみれになったり、階段から落ちたり・・・。これがあまりにもリアル。最後に父親の葬式まで撮影する。これもディックの本当の友人知人を集めて感動的な葬式に仕上げるというもの。

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半ば冗談のようで、人間の”死”に迫る。ディックの妻(監督の母)が認知症だったことと、ディック自身が老いて記憶力が低下してゆくところを対比させるのも痛々しい。しかしいずれ誰にも訪れる”死”をカラッと映画いているのがとてもいい。どうせ死ぬ。誰もが死ぬ。

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彼らはセブンデー・アドベンチストは、キリストの再臨を待ち望む人たちに属し、死んだあと人はキリストが再臨するまで眠り続ける、という思想らしい。厳格な規律に支配される彼らだが、ディックはあまり規律に縛られず自由に子どもたちを育てたようだ。
 

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この映画は『人間蒸発』(今村昌平)にも似ている。どこまでがフィクションでどこからがノンフィクションなのかわからない。わからないけども、登場人物のセリフに作為はない。例えば孫が「おじいちゃんどうせ忘れるからいいよね?」86歳の誕生日。あまりにも痛々しいが、これがもしドラマだとしたらどうだろう?と思わせる。ある意味でこの作品は映画論に迫っている。ドラマと現実の境目は何なのか?よく「実話に基づく」と称される映画もまたフィクションだ。主人公のディックの明るくて愛嬌のある人柄をカメラは追いかけるが、彼の本音はどこまでこの映画に示されたのだろうか?
 
最後の葬式シーンで、精神科医として活躍したディックを偲んで交わされる言葉。そこに監督のナレーションが重なり、「記憶の喪失も人を失うこと。」と添える。クローゼットの中で監督が”ディックの死”を何度も唱えて部屋を出ると、そこにはディックがいる。このラスト5分のためにこの映画は作られている。感動で涙が止まらない。

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ルディ・レイ・ムーア 

『Dolemite Is My Name(原題)』ルディ・レイ・ムーアエディ・マーフィが演じる。

ド素人の作る映画の話。全く知らない世界だった。すごいカルト映画。

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さえない腹が出た中年をエディ・マーフィが演じているというのが皮肉だ。『星の王子さま』だったはずだが地に落ちたものだ。生真面目なバーで司会をする中年男が、下品な本音を語りだすことで一気に人気爆発になって、ついには映画まで作ることになる。

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とにかく無茶苦茶な話なのだ。映画のストーリーも無茶苦茶だが、クンフーを交えたりするなど脈絡がない。あまりにも荒唐無稽の映画で、これでは日本で公開されないだろうという映画。だがしかし、いまこの映画を振り返ると、ちょっと感じ方が変わってくる。

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ときは1970年代。自分も多感だった頃だから覚えているのだが、アメリカは自由で夢のある国だった。その中でまだまだこのような黒人に対する偏見があったことを知る。この映画の中でそのことは直接的に描かれていないのだが、明らかにこれは黒人が白人をコケにする映画なのだ。『ブラック・クランズマン』の主題でもある。ここが実に面白いのだ。

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 そして何より、しょうもない映画を真剣に撮ろうとする意思がすごい。この救いのない自主映画をなんとかして世間に伝えようとする意思。この勢いが素晴らしいのだ。世間にはいま映像が溢れている。どこにいても誰でも映画やドラマを見ることができる。しかしネットもなくテレビの普及がそこそこの時代に、映画を作ろうとする意思。このハートがすごいと思う。

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最後に映画館の前の行列にいる子供とラップするシーンは感動を呼ぶ。彼がラッパーのさきがけであることがここでわかる。そして彼の言葉の裏側には路上生活者から拾ったネタが盛り込まれている。それはアフリカから黒人が奴隷としてこの国に移り住んで、様々なビハインドを生きてきた歴史が吹き込まれている。こうしたささやかな構成もまたこの映画の魅力だ。

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冷静になると、日本映画はもはやテレビ局や映画会社が漫画を原作とする企画を下ろしてきて映画を低予算で撮るというスパイラルにあって、自らの意思でなにかを伝えようとする(できる)映画監督は皆無だ。少し前の『カメラを止めるな!』のよな意思のある映画がない。それを思うと映像メディアの環境が劣悪だったこの時代に意思を貫いたドールマイトのかっこよさが際立つ映画に圧倒された。
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町山智浩さんの『映画ムダ話』より抜粋。
 
・ピンプ(成金の金持ち風)を描く『ザ・マック』という映画は『スカーフェイス』に影響している。
・『黒いジャガー』が当時大ヒット。黒人刑事が白人の麻薬犯と戦う話。
・ブラック・スプロイテーションは失速して、ブルース・リーに人気が集まる。クンフーを混ぜた黒人映画にシフトしてゆく。『燃えよドラゴン』にも黒人が出ている。
ブラック・スプロイテーションのブームが過ぎてから作られたのが『ドールマイト』。
・路上生活者からネタを拾うのは本当の話。黒人の民話、アフリカから語り継がれた話などを盛り込んでいる。ラップのリズムもこの言葉遊びから生まれたらしい。(賢い猿がライオンに意地悪する話はイソップに似ている。『トム・ソーヤの冒険』にも民話は影響している。
・”シグニファイド・モンキー”はイソップ。イソップは実在人物でアフリカの奴隷だったと言われている。
・”ドールマイト”はすごい黒人の話。誰も手を付けられない悪党。アフリカに行って動物までやっつける男。
・撮影監督ニコラス・ジョセフ・スタンバーグで、なんとあのスタンバーグ(『嘆きの天使』)の孫。

 

 

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モノリス ウィルスとしての記憶

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『2001年宇宙の旅』が公開されたのが1968年。自分が初めて銀座のテアトル東京(シネラマ)で鑑賞したのはもっと後、中学生の頃だったと思う。1978年だったか。全く意味がわからなかった。それでもその映像の迫力を堪能した。
 
いつしかこの映画のタイトルとなった2001年から20年が経過する。

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ウィルスの感染拡大で、人は引きこもりあらゆる行動にコンピューターが介在する。もし、1968年に想像した2001年にコンピューターが存在しなかったとしたら・・・?

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ダークエイジは中世の疫病が蔓延した時代を指すが、この展示にも参加しているジェームズ・ブライドルの示す”ニュー・ダークエイジ”のインスタレーションの示す人と人以外の種とのコミュニケーションは環境被害や災害に対する暗示にも思える。

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『2001年宇宙の旅』に戻ろう。あの映画でAIのHALの言葉「ミスは人間が犯す」は普遍的だ。過ちは常にヒトが起こしてきたことだ。この映画の類人猿が武器(骨)を与えられて他者を殺すことを知ってから、人類は永遠にミスの連続ではないか。その線上に”コロナ”があることに立ち戻らなければ何も解決しない。ダークエイジはまだまだ続くのだ。モノリスが何なのか?を掘り下げない限り希望がない。
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ヤクザと家族 The Family

ヤクザと家族 The Family

 


綾野剛&舘ひろし『ヤクザと家族 The Family』本予告

かなり評判の高い映画だったので、かねてから見よう見ようと思っていて、やっとのことで鑑賞できた。『新聞記者藤井道人監督作品。シム・ウンギョンさんが日本アカデミー賞を受賞した作品。

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先日、西川美和監督の『すばらしき世界』を鑑賞した直後なので、印象としては強く重なる。それはヤクザという反社会的勢力の在り方が問われているからだ。しかし、この映画の対岸にある本当の意味は少し違うと思う。『孤狼の血』という白石和彌監督の作品がある。あの映画はマル暴(警察権力)側の視点で描いた映画だったが、こちらの作品では岩松了さんの役がそれにあたる。

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ヤクザは間違いなく社会的に存在が許されるものではない。しかしいつの時代にも社会に寄り添う存在でもあるヤクザの在り方とは常に”家族”であるということだ。しかし家族そのものの象徴であるヤクザが崩壊する姿は『ゴッドファーザー』でも語られているが、それはいつもその時代背景に左右される。この映画の隠れテーマはデフレだ。

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舘ひろしの親分が「義理人情も金には勝てねぇってことか。」というセリフにもある通り、ヤクザというの抗争ばかりが言われるが、実は”貧困の受け入れ先”であったことも忘れてはなるまい。ヤクザを肯定するつもりは全くないが、親や兄弟を失って、戸籍すらも失われた天涯孤独な若者の受け入れ先にヤクザが存在した事実は否めない。むしろ行き場を失う子供を存在させた社会(政治)を責めるべきで、彼らには罪がない。

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その意味で『すばらしき世界』の主人公も、この映画に出てくる若者たちも同じなのだ。彼らを生み出した行き場のない社会。むしろ責められるとしたら、彼らの足元につけ込む警察(国家)権力であろう。藤井道人監督は『新聞記者』でもかなり際どく権力批判を示したが、この映画でもヤクザと家族以外に権力への強い批判を示していると思う。

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日本であれば『仁義なき戦い』から『アウトレイジ』に至るまで、いずれの時代にもヤクザの存在は露出してきたが、戦前戦後を踏まえ、バブルからデフレの時代をヤクザの終着駅とすることになならないだろう。なぜならマル暴が存在するからだ。彼らはヤクザが存在しなければ商売にならない。藤井監督の『新聞記者』でかつての公安が形を変えて存在していることと同義である。この映画の示す意味は極めて深い。
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この茫漠たる荒野で News of the World

 
ポール・グリーングラス監督、トム・ハンクス主演のドラマがNetflixで配信された。『この茫漠たる荒野で
 
とてもリズム感のない始まりで違和感のある始まりだった。そもそも南北戦争後に金髪の少女が取り残されているとうのにしっくりこない。主人公のトム・ハンクス演じるキャプテン・キッドはどうやらニュース(新聞)を読む仕事のようで、聴衆に向かって記事を読む。グラント大統領(将軍)がコロラドに合衆国迎合を求めることなどが語られる。
 
しかし物語が進むにつれて、この違和感がじわりと説明されてゆく。妻から遠く離れて旅をするキャプテンと、インディアンに育てられたドイツ系移民の子供、という設定の違和感のその理由がドラマの中で説明されてゆく。もともとアメリカにはドイツ移民が多かったそうだ。(ちなみにトランプ氏もドイツ系移民の直径だ。)

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このようにドラマを追えば追うほど違和感が払拭されて、次第にこのアメリ南北戦争後のはなしが、極めて身近に感じされてくる。先のアメリカ大統領選挙で分断が広まった。それはこのドラマと大いに重なる。

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そしてこの少女がドイツ系移民で、生みの親を殺され、育ての親であるインディアンも虐殺されて孤独な状態にあることを浮き彫りにしてゆく。分断は子供にも影響するのだ。

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主人公のキャプテンは、子供を彼女の親族が住む場所まで届けようとするが、途中の村で囚われる。ここで彼らが目の当たりにするのは、地元新聞を支配する独裁者だ。ここは極めて重要だ。いまこうしている間にもメディアは自らの利益のためにおかしな方向を指し示す。フェイクニュースである。

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キャプテンが家に戻ると、すでに妻は亡くなっていた。このシーンで妻の死を伝えるのがビル・キャンプ。彼は『クイーンズ・ギャンビット』で主人公のベス・ハーモンにチェスを教える施設の用務員シャイベルさんだ。この映画でもわずかなシーンだが存在感を示す。そしてキャプテンの妻がコレラで亡くなった、という意味の現代性はここで語るまでもない。

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極めて現代性の高い映画であり、アメリカという国が移民で培われた国であることもまた、この映画の大きなテーマだろう。そしてこの分断を止めるために、映画は子供を中心に据える。子供は未来への遺産だからだ。なんという感動だろう。これはほかの国の古い物語ではなく、いま我々が目の前にしている”なにか?”ではないのか?
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プラットフォーム  EL HOYO

 
 
このところ映画を見る時間があまりなくて、この飛び石連休を狙ってまとめて映画鑑賞している。その前半の最後を締めくくる映画がこれ。『プラットフォーム』だ。この2〜3日で10本ぐらい映画を見た最後がこれとはねぇ・・・
凄まじい映画。

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筋書きは予告編に概ね示されていて、その仕組みだけで面白みが伝わる。かつてない発想。かつてない想像力を掻き立てる凄まじい映画だった。これを見逃すのは損だ。

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映画の始まりはイギリスかフランスの貴族の映画かと思わせる豪華な食材を映像で並べている。ここからまさかプラットフォームという仕組みに転換されると想像もできない。最上階を0階として、そこから地下へどんどん食料が降りてゆく。地下200階(実際には333階)という階があって各階に(本来は)二人の人が同居する。食料は400食分あるはずなのだが、最下階にプラットフォームが着く頃には割れた食器しか残っていない。

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ここまで書けばこの映画がここ30年あまりで世界に蔓延した格差や差別、あるいは偏見などを意味することだというのはすぐわかる。問題はそこから先だ。単なる食料の分配をめぐる話だとすれば、きっとマイケル・ムーアにでも任せておけばよい。ことはそう単純ではない。

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この映画を巡って多面的な意見が飛び交い、様々な議論が施されることを期待する。極めて多くの意味を含む含蓄のある映画だ。実に面白かったぜ!
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