茜色に焼かれる
円山町のユーロスペースの入るビルは今やイメージフォーラムや岩波ホールなどを超える聖地だ。素晴らしい企画やイベント。ホールは小さめだが快適な映画環境に感心する。
あまり事前の予備情報なしで見たんですけど、オダギリジョーさんが自転車に乗ってるんですよ。そして高齢の男性が運転しているシーンがカットインして、コンピューターの事故シーンがモンタージュする。わかりやすい。これが例の池袋で起きた元高級官僚によるおぞましい交通事故を当て込んでいるのだ。よくこれを映画にしたものだと思う。朝日新聞が協賛しているのも意味があるのだろうか。(朝日新聞はまるで信用してないが・・・)
この映画はいくつかの大きな問題を示すことに挑戦している。そのひとつが「上流国民/下流国民」(橘玲著)にも詳しく書かれているとおり、夫を車で跳ね飛ばしたアルツハイマーの老人の葬式から追い出される主人公の妻、尾野真千子さん演じる田中良子のジレンマはここにある。夫を跳ねた側は起訴もされず死んで大勢の弔問客に惜しまれている。その家族は彼女が弔問に訪れたことを強く拒否し、弁護士を通じて脅迫行為にあたる可能性があることを伝えるのだ。ここまで語ればこの映画は十分だ。それだけで価値のある映画だ。石井裕也監督は本当によくやったと思う。
映画は田中良子の息子が語る形式で進行する。彼の存在はこの映画唯一の救いといえる。画面の片隅に時々映し出される文字。それは生活費の金額、例えばパートの時給だったり公団の家賃だったりする。コロナ渦で、夫と営んでいたカフェも閉店し、花屋のパートのほか息子に内緒で風俗店で仕事をして生活を支える。そして彼女と同じ風俗店で働く若い女性ケイもまた下級国民で、インスリンを打ちつづける病気を抱えている。
息子は息子で学校でいじめにあいながらも必死で学業に専念し、母親を信頼している。しかし母の身には波状攻撃のように悪いことばかりが押し寄せてくる。そんな彼女の口癖は「まあ、頑張りましょう。」彼女は内面に何かを抱えながらもそれを抑えながら耐えて耐えて生活しているのだが、周囲の環境が次第に変化してゆく。
最後に抑えの効かなくなった彼女の感情を制御する助けになるのが、息子と風俗店のケイと、風俗店の店長である。詳しくは書けないが、永瀬正敏さん演じる風俗店の店長は、良子が風俗店を辞める意思を示したとき、極めて辛辣で且つ彼女の内面を見透かすようなアドバイスをするのだが、この役に最後重きを置いたのもまたこの映画の妙味だ。
というのは、この部分だけを切り取ると、それはまるで『すばらしき世界』や『ヤクザと家族』に重なってゆくことをにじませるからだ。それは、この世界が”貧困の受け入れ先”だったはずなのに、それすらも失われてゆくこの国の末路を示していることを意味する。
ここまで書けばわかるだろうか。この映画の主人公をめぐる”事実”と思しき現実は、いまの日本をそのまま示している。そしてそのことは上流国民は痛みを覚えず、下流国民の下層社会で生きてゆくためになりふり構わず生きようとする虐げられた女性の苦しみを露骨に表しているのだ。
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